イソップ・カール考察

【ご注意!】

  • この記事は 2021年8月に繊細なゴリラ(オタク)が発行した第●人格登場キャラクター、イソップ・カールについての考察同人誌、そのweb再録となります。
  • 執筆時期的に、公式によるメインストーリー更新前の情報を基としておりますので、今現在の情報、認知されているイメージと齟齬が生じています。
  • 腐要素等はないつもりですが、なかの人がそれなりにオタク歴が長い&色々嗜む人間ですので、そういった表現に見える可能性もないとは言い切れないです。少しでも危ないな、と思ったら自衛をお願いします。
  • 2022年に3回目の誕生日を迎えるイソップ・カールへのお祝いがてらの再録です。よければ同好の士の皆さま、楽しんでってください。

 

 

はじめに

イソップ・カールに魅せられて

 危うさに惹かれるのは人の性で、均衡が崩れそうなものほど美しくみえるのは、人だけが持つ楽しみかと考えています。

 何が言いたいかというと、イソップ・カールとはそういった「人物」で、魅力で、魅了で、そして愛しさを内包したキャラクターなんだなあ、ということでして。

 つまり。この作品とは、そういった彼の「均衡の崩れかけたあやうさ」に「美しさを見出した」愚かな人間による考察という名の妄想を詰め込もうという、そういう狂気の作品なのだということです。

 なにやらしょっぱなから飛ばしすぎかもしれませんが、この冒頭だけでこの筆者のやばさ、妄想の度合いなどが伝わっていれば逆に幸いです。

 なにか嫌な予感がする……、という方は自分の直感を信じて大丈夫です。書いている本人もすでに「何を言っているんだ?」と思っています。地下室はこっち! そうです。逃げましょう。でも処分するときは燃えるゴミでお願いしますね。

 「ほう、面白そうじゃねえか……」と思われた方は、どうぞ次項の注意事項に目をお通し頂き、次なるページ~深淵へとお進み頂ければ幸いです。

 あなたのイソップ・カール愛のお手伝いが出来たなら、これ以上なく光栄です。

ご注意~本作品を楽しまれる前に

  • この本は個人の嗜好と娯楽によって生み出された非公式の考察同人誌です。
  • 紙面に書かれる全てのことは、現実に存在する全てと一切関係ありません。
  • 全て個人の想像、妄想の域を出ない考察です。
  • また、一次ソースや具体性に欠ける説話で溢れています。
  • 素人調べによるものですので、誤った認識もあるものとご了承ください。
  • 作品やキャラを貶める意図も意志も決してありません。すべて愛ゆえの狂気と妄想です。
  • 個人が愛ゆえにトチ狂って妄想したものとして、ひとときの娯楽として楽しんで頂ければ幸いです。

本書の考察姿勢

  • 本書では「テクスト論」と呼ばれる作品読解スタイルを採用しています。
  • 読み方によっては極めて恣意的ともとれる視点が多分に含まれるかと思われますが、それは本書が「公式の言いたいことはこれ!」という風に考察するのではなく、「公式から供給された情報を基に推しへの愛だけで考察したらこういう妄想が出来上がるぜ!」という「作品を楽しんで読み解く」ことに重きを置いた姿勢で臨んでいるがゆえ、とご理解いただければ幸いです。楽しんだ者勝ちだぜ!

 

ふたつの側面からのイソップ ──荘園へ赴く理由

ふたつの側面から、ふたつの考察がうまれる

 それでは、さっそく我らがイソップ・カールの考察へ赴いてゆきましょう。

 

 彼について調査を深めるに、ざっくりと、ふたつの「視点」からの考察が可能だということが分かってきました。

 まずは「リアルの視点」。いわゆる「現実世界に則した視点」です。

 現実にイソップ・カールという人が生きていたとして、どんな年代に生まれたのか。どのような生い立ちを以て過ごしてきたのか。

 そしてもうひとつが、クトゥルフ神話の視点」です。

 後述してゆきますが、第五人格という作品には、その根幹に「クトゥルフ神話」という架空の神話が関連してきます。結構有名な視点らしく、すでに先達たちが様々な考察を講じてくれてたりします。(おもしろい説ばかりなので、ぜひ一度検索してみて下さい)

 

 それらふたつの視点によってどのような考察、そして結論が導き出せるかですが……、

 先に書いてしまうと、それぞれの視点からは、「なぜイソップは荘園へ赴いたのか」という問いへの答え2とおり浮かび上がってきます。

 

リアルの側面から ───「解離」

 同人誌といえど、いやだからこその分かりやすさを目指して、簡潔にどしどし述べてゆきましょう。

まず、リアルの視点からは、イソップが荘園へ赴いた理由は「解離をしているから」と考察することができます。

解離。意外と聞き覚えのある単語だったりします。単語の意味や、どう関連するかなどは頑張ってあとで解説してゆきますので、一旦「へえ~」という感じで頭の片隅にポイしておいてください。

 

クトゥルフ神話の側面から ──「神の意志の反映」

 次に、クトゥルフ神話からの視点です。こちらもいきなり結論からいってしまうと、イソップが荘園へ赴いた理由その②は「神の意志を反映したから」と考察できます。

 神とか出てきちゃってさっそくドン引きさせてしまっていたら申し訳ないです。でも結構序の口なので頑張って付いてきてください!(無責任) こちらについては後半戦にあたる2章で解説してゆきますので、嫌な予感がしたら前半戦を楽しんでもらう方向でよろしくお願いします。でも個人的にはこちらが真骨頂だと思っています。

 それでは、なぜその結論へ至ったのか、それぞれの詳しい考察に乗り込みましょう。

 

 

1章 リアルの側面から

1.プロフィールの考察

「イソップ・カール」とは誰か

 考察ということなので、まずはその対象たる彼の人イソップ・カールについての基本概要のおさらいから始めようと思います。

 

 現段階情報の開示されているイソップ・カールについて。

 

 男性。年齢は二十一歳。

中産階級」の人間。職業は納棺師、Embalmer 。いわゆる、おくりびと

 荘園における外在特質として「社交恐怖」を持つ。

 荘園における特質(簡単に言えばゲーム上での技能、スキル)は「化粧術」「生死超越」「死者蘇生」(こうやって改めて並べるとものすごいラインナップ)。

 学生時代に教育機関側から「自閉症、あるいは他の問題」を抱えているとして退学を余儀なくされた経験がある。(背景推理より)

 手紙の差出人として「Y.R.」と名乗る母親の存在を確認できる。(二〇二〇年誕生日の手紙より)

 公式の紹介文では、人生という名の旅の終着点へ辿り着いた客人にとって、つまりは死者にとって、素晴らしい「夢のような」「おくりびと」足り得る人だとされている。

 そして、「不幸にも亡くなった、謎めいた母親の最期の願いを叶えるために」彼は荘園へ赴いた、とも。

 

 あれ、なんかちょっと違うな? と感じられたかもしれません。正解です。なぜなら、最後の彼についての文章は、日本語版公式サイトだと別の文章となっているからです。前述の「母親」についての文章は、英語版公式サイトから個人的に訳したものとなります。

 日本語版では母親については「不幸な」とだけ説明されているのですが、英語版だと解釈の変わる単語が使用されていたのです。

和訳から鑑みる

 そう、ここがポイントのひとつです。第五人格くん、海外ゲームなだけあって、なんてこった日本語訳がガバいことが多い。

 そこでです。本書では英語版からの和訳を施したものを下地に考察を進めていきたく思います

 公式原文は中国語なので、英語版も確かだとは言い切れないのですが、日本語と比べると、一説には中国語の文法構文と英語のそれとは結構近い構造にあるらしいです。(※もちろん、素人調べの素人による見解です)

 そうなれば、中国語→日本語よりも、中国語→英語の方が細かなニュアンスの差異などは生まれにくいと思われます。

日本語はそもそも主語が明確でないことが多い言葉ですもんね……。なむ……(?)

 そんなわけで、重ねてとなりますが、本書では英語版からの和訳+分かる範囲の中国語原文からの和訳を下地にがんばって紐解いてゆきたく思います。

動機の変更

 閑話休題。話を戻しましょう。

 

 以上がおおよそのイソップ・カールについての概要&公式情報となりますが、ここでまた難しいことに、彼は他の人物たちと違い、一般公募から生まれたキャラクターという経緯があります。応募者様の原案があるキャラクターなのですね。

 原案段階での彼は、とある女性のご遺体から一通の手紙を見つけます。その手紙は、彼女の娘に宛てたものであり、そして、その娘に手紙を届けるには「エウリュディケ荘園」へと向かう必要がありました。

 イソップは、その不幸な母親の最後の願いを果たすべく、手紙を届けに、彼女の娘を探しに、荘園へと赴くことを決めます。

 

 つまり、荘園とは他人物たちにとっては願いや望みを叶えたり、各々の目的を携えて赴く場所のはずなのですが、イソップだけが例外として「他人の最後の願いを果たしてあげるために」エウリュディケ荘園へ赴いた、というストーリーになっていたわけです。

 イソップにとって、荘園へ赴く理由や動機というものは、自分のためではなく、他者のためであったのです。

 しかしながら、いつの段階かは定かではないのですが、このストーリーはいつのまにか背景推理からも公式の紹介文からもバッサリ切り取られてしまいます。いやタイミングとしては本当にいつだったのでしょうね……。結構大きな変更なのですが、アナウンス等はされなかったみたいです。

 なんにせよ、これはつまり、公式によって明らかな【原案からの変更を明示】されたと捉えて良いのだと思われます。

 しかしながら、ストーリー自体の変更はなされたものの、結果的には「母親」の存在はしっかりと残っています。

 娘に手紙を届けられなかった「見知らぬ不幸な母親」ではなく、ただ「不幸にも亡くなった、謎めいた母親」として。

母親の存在

 この変更は、これから考察するにあたっても適宜述べたく思うのですが、イソップ・カールを語る上でかなり重要な点だと推測されます。

 なぜかといえば、イソップ・カールの人間関係について、その明言されている相関図のなかで、母親の存在というのはかなりのウェイトを占めているからです。

 公式から明示された彼の人間関係は次のようなものです。

 

1.ジェイ・カール(英語版ではJerry・Carl)
「年長のエンバルマー」と思わしき男性。ある程度の年齢からは、この男性がイソップを育てたと思われる。

2.Y.R.
 イソップの母親。自らを「臆病な母親」と手紙に記す。彼に宛てて手紙を書き残す。

3.エリサ
 Y.R.にとっての「忠実なる友人」。Y.R.からイソップ宛の手紙を託される。(後述するが、彼女は結局手紙を届けられていないと推測される)

 

 他にも父親の存在や、二〇二一年誕生日の日記によって示された、イソップ自身が「静かな友人」となることを求める相手の存在などもありますが、主たる登場人物はおおよそこの三人だと思って差し支えないと思われます。

 

 イソップにとって母親とは、【背景推理① 学徒(英語版では見習い、弟子入り)】でも触れられているとおり、彼が「年長のエンバルマー」、つまりは納棺師ジェイ・カールに弟子入りを決意するきっかけとなった人です。(詳しくは後述の背景推理和訳にて)

 また、彼女の頭文字Y.R.は、おおよその見解として「Yellow Rose」の略だと推測されています。

 黄色の薔薇。背景推理にも携帯品にも頻出する、あの黄色の薔薇です。

 そういった面でも、「イソップ・カール」というキャラクター像を形成する大部分は、彼女の存在によって成り立っているといっても過言ではない程、際立ってクローズアップされているようなのです。公式直々にです。関係ないけど執筆現段階で筆者は黄バラの骸を入手出来ていないです。つらい。

 

 それはさておき、背景推理、携帯品、誕生日の手紙や日記と、彼がイソップ・カール足り得るための情報を提示する場所、その要所要所で、存在を明示し、あるいははっきりと主張さえしている、母親Y.R.の存在。

 そして、公式自ら「原案からの変更」を示した箇所。改訂後にも残された、「母親」についての記述。

 これらを示し合わせたうえでの見解は、「つまりはイソップ・カールの動機付けとは、他者の母親ではなく、自らの母親に依るものへと変更されたのでは?」ということです。

 

 このように原案稿、そこからの変更・改訂を鑑みるなど、同じイソップ・カールでも、基礎を並べようとするだけでこれほどの疑問点が浮かび上がってきてしまうこととなります。

 よって、繰り返しとなりますが、現段階で明示されている情報をできる限り「英語版からの和訳」(あと出来る範囲での中国語原文からの和訳)にて読み解き直しつつ、まずは彼のプロフィールについて、生い立ちについて固めてゆき、考察するにあたっての前提を組み立ててゆこうと思います。

プロフィールの考察

 英和訳いくよ~! と発言してすぐに別の章立てをして恐縮ですが、その前に少し、イソップ自身のプロフィールの仮説をたててゆきたいと思います。どの国に生まれたかでも、文化の違いで生い立ちなどに差が出てきますもんね。

 そんなわけで、まずは彼の「出身地域」「生まれた年代」などを仮定したいと思います。

出身国の考察

 イソップのフルネームは「イソップ・カール Aesop Carl」です。イソップは養父であるジェイに引き取られたことで、現在のイソップ・カールとなったわけで、よって、本来は「カール姓」ではなく本来の姓があるわけですが、今のところそれらが明らかになる気配はなさそうです。

 そんな感じなので、ここでは仮として実母Y.R.の「R」を拝借し、旧姓のイソップは「イソップ・R」と仮称したいと思います。

名前からみる出身国

 そんなイソップの綴り「Aesop」ですが、これはギリシャ系の名前であり、本来の読みは「アイソーポス」などになります。アイソーポスの英語読みが「イソップ」です。

 また、「Carl」は養父であるジェイ・カールの姓名ですが、こちらは「Charles:チャールズ」のバリエーションのひとつであり、語源を辿るとゲルマン語の「Karl」へと行きつくそうです。カール大帝のカールですね。

 「Karl」からは「Carol」や「Karel」「Kral」など色々な派生系が生まれてゆき、そのうちのひとつが「Charles」となるわけですが、Charlesは本来は【英語圏の男性名】です。

 Karl→Charles→Carl って流れですね。

 また、「Karl」は様々な国で派生してゆく名前で、国や言語によって頭文字が「K」と「C」とに分かれたりもします。ゲルマン・スラブ語系は「K」、ロマンス語系は「C」、そして【英語圏では「C」「K」両方を用いる】そうです。

 どちらの観点から見ても「Carl」とは【英語圏の姓名】と捉えることが出来そうです。

 

 違う点からも攻めてみます。

 イソップの養父ジェイ・カールは、英語版では「Jerry Carl」と表記されています。「Jerry」は【英語圏の男性名】です。

 また、登場人物のひとりである「Elisa エリサ」は「Elizabeth エリザベス」の愛称・短縮形のひとつであり、そして【英語圏の女性名】です。

 イソップの周囲の人間から鑑みるに、少なくとも【英語圏の名前の人間】の住む地域出身であることは確定のようですね。

 

 そうなると問題は【英語圏のどの国か】となるのですが……。

 ここで目安となるのは「棺の形、種類」です。

棺の形から鑑みる

 この先の英和訳でも触れるのですが、イソップの背景推理等に現れる「棺」は「coffin コフィン」という単語が用いられています。棺には「coffin コフィン」と「casket キャスケット」の二種類の形があるのですが、「コフィン」とは、棺の両肩の部分が最も巾広になり、足先に向かうほど細くなっていくデザインを指します。そうです、イソップが召喚するような、典型的なあの「棺」の形のことですね。ドラキュラとか眠ってそうなやつです。

 対して「キャスケット」ですが、こちらは「キャスケット=宝石箱」との名の通り、長方体をしており、1870年にアメリカで考案されたそうです。アメリカではほとんどがこちらを用いられているそうで、対して、同じ英語圏のイギリスでは「コフィン」型が多いままだそうです。

出身は英国の上流階級?

 同じ英語圏でも、イソップが用いるのは「コフィン型の棺」と分かりましたので、消去法で、イソップはアメリカ出身ではない、ということが分かりました。

 また、本書では、イソップは「上流階級の出自」だということを前提として考察してゆくつもりです。

理由としては、「舞う」モーションでの優美な社交ダンス、携帯品の「銀のくし」などが挙げられます。「舞う」モーションのダンスからは、学業以外の社交の場の「教養」を身に着けていることが伺い知れますし、母Y.R.の遺品、そして形見と思しき「銀のくし」は、当時の銀の価値からも、それなりの暮らしを享受できていた人間の所有物と推察できます。

 そして、階級での身分制度が敷かれているとなれば、やはり浮かぶのはヨーロッパ圏です。

 ヨーロッパ圏に近く、階級制度が敷かれ、且つ英語圏の国。

 これはもう、「イギリス」以外にはないかなあ、と思われます。

 というわけで、本書では【イソップ・カールという青年の出身国は「イギリス」であり、且つ上流階級の出自として生まれた】と仮定して、考察を進めてゆきたく思います。

 

■上流階級

Upperclass(アッパークラス)のことを指します。王族や貴族など、労働を負わない階級の人々。なぜなら自分より下位階級の人々の労働で暮らすので。その代わりに、生まれた瞬間から「持てる者の義務」を負う人々でもある。ノブレスオブリージュ。

 

年代の特定 ──仮定

 出身国を仮定できましたので、続いて「イソップが生まれただろう年代の考察」にいってみます。

 と、その前に、ここで一度、現時点での情報を整理します。

  • イソップは、ゲーム本編では二十一歳である(公式サイトより)
  • 学生時代(何歳かは不明)に「自閉症」を理由に退学を余儀なくされる(背景推理より)
  • ゲーム本編イソップの通常衣装のブーツにはファスナーがある(キャラクターデザインから観察)
  • イソップが生まれたときには「黄色の薔薇」が存在している(背景推理より)
  • 出身国はイギリスである(仮定)
  • 上流階級の出身である(仮定)

 

 こんな感じです。

 うち二点は本書内での仮定となりますが……、やはり仮定なしには考察も進められないですし、この本はテクスト論を軸にした考察という名の強めの妄想~幻覚本なので、このままいかせて頂きましょう!

 そんな感じで年代の考察です。情報は少なめですが、意外と追えました。

 

■銀のくし

イソップの携帯品のひとつ。「銀」は昔より貴族などの上流階級の間で食器や装飾物に用いられ、特に毒に反応を示すことから「暗殺を回避する」ために食器として用いられたり、今でも「魔除け」的な意味で銀が重宝されたりしているそうです。

また、銀のくしが遺品だというのは、英語版でPreservedという単語が用いられている点から伺えます。Preserveには保護や保管、温存、維持など「厳重にその状態を保つ」意味があります。そういった対象である「女性用の、美しい装飾の施された、傷一つない状態の、銀製の日用品」となれば、イソップにとってどれほど大切な品物なのか、そして誰のものなのか想像できちゃう気がします。

 

年代の特定 ──自閉症に関連して

 まず、イソップは【学生時代(何歳かは不明)に「自閉症」を理由に退学を余儀なくされ】ました。

 その自閉症についてですが、多くの方がご存じのように、発達障害のひとつであり、現代では「自閉スペクトラム症」と総称されています。

 「自閉症=Autism」は、1943年に、アメリカの児童精神科医レオ・カナ―によって名付けられました。一般で言う「低機能自閉症」の人々がそれにあたります。

 ですが、レオ・カナ―の定義した「自閉症」には、「知的障害や言語の遅れの有無」の区別がありませんでした。

 その後、イギリスの精神科医ローナ・ウィングが「アスペルガー症候群」を提唱し、「自閉症」で一括りにされていた人々の中から、「知的障害、言葉の遅れを伴わない人々」を区分しました。それが1976年のことです。

 

 ここでイソップについてですが、恐らく彼は、現代の「アスペルガー症候群」に類する人であると思われます。彼は「ゲームに参加」していますし(つまり仲間と言語を用いたコミュニケーションが最低限可能ということです)、招待状に従って荘園へ足を運んでいます。また、「社交恐怖」はありつつも、たとえば派生作品である舞台などでは、周囲と一定のコミュニケーションも行えています。人物像として、知的な障害は見受けられません。

 そうなると考えられるのは、イソップという青年は、「自閉症」という概念、区分しかない時代に生まれたことにより、自閉症」である、と誤認をされていた、という可能性です。

 そうであれば、イソップとは、「自閉症」という概念は広まってはいても、「アスペルガー症候群」などの概念は確立されていない時代に生まれた人、ということになります。

 つまり、【自閉症の提唱された1943年以降】且つ【アスペルガー症候群の提唱された1976年以前】の生まれ、と推測できるわけです。

 

自閉スペクトラム症

現代では「自閉症」「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」3つの区分を総称して呼称します。主に「知的障害の有無」がその判別に用いられますが、アスペルガー症候群の方には知的障害や言葉の遅れなどは見受けられず、しかし、自閉症などの方同様に、コミュニケーションの不得手や特定のものへのこだわりなどが起こってしまうことを特質とされています。

(参考:国立精神・神経医療研究センターHP)

 

年代の特定 ──他の視点からも

 自閉症、という単語から以外にも年代の推測はできそうです。

 たとえば、イソップの背景推理には、黄色の薔薇の花園が登場します。

 実際に黄色の薔薇が品種改良で現代に誕生するのは1933年が最初です。つまり、イソップは1933年以降の生まれであることが確定できます。

 また、イソップは通常衣装でショートブーツを履いていますが、内側にはファスナーが備え付けられているようです。ブーツにファスナーが付くようになるのは1876年以降という見解もあり、そうなれば、イソップはそれ以降の生まれ、であることも確定できます。

 いずれにしろ、以上の二点を加味しても、自閉症関連で特定した年代と齟齬はなさそうですよね。

 

■黄色の薔薇

自然界の薔薇にはもともと黄色は存在しなかったため、品種改良されて現在に至っています。その歴史はまだ100年たらずで、1900年「ソレイユ・ドール」の作出が最初とされますが、まだまだその色はオレンジがかっていたそうです。その後は1920年「スブニール・ド・クロージュ」で完全な黄色が再現され、1933年「ゴールデン・ラプチュア」が作出されました。これが現在の黄色の薔薇の親と言われているそうです。ちなみに筆者は黄色の薔薇はまだ見たことないです。イギリスにはいっぱい咲いてるのかなあ~

 

英国出身であることからの推測

 ここまでで、年代は【1943年〜1976年内の生まれ】と考察できました。

 加えて、イギリス出身、且つ上流階級の出自であると仮定したことにより、次の点が考察できます。

 

  • イソップは「パブリックスクールに入学し、そして退学」となった
  • 上流・中流どちらの階級の出自としても、「退学となったのは十一歳以降である」

 

 パブリックスクールとは主に「上流&上位の中流階級の子弟を対象とした男子の、寄宿生の名門私立学校」の総称を言います。パブリックって言っているけど公立ではなく私立です。伝統的な慣習で、様々な物語の舞台としても知られています。現代でも存在し、十一歳、あるいは十三歳になると、受験と進学をします。(昔は男子のみ且つ寮制度でしたが、現在は男女共学や通学制にもなってきているそうです)

 そんなパブリックスクールですが、上流階級の子息、しかも長男として生まれたと思しき人間であれば、その入学はほぼ絶対のものであると言えます。パブリックスクールに入学、卒業して、順当に一流の人間としての教養と学歴を身に着けることは、家柄を保つために必須でした。イギリスは特に。

 であれば、イソップもまた例にもれず、そうして寄宿生のパブリックスクールへと入学したのではないか、と推測できます。

 

パブリックスクール

イギリスの私立学校のなかでもトップ10%、エリート中のエリートを輩出する学校。有名どころだと、ウインチェスター校など。ケンブリッジ大学、オックスフォード大学への進学を考えるなら、もうここへ入学するのは前提らしいです。ハリーポッターに登場するホグワーツ魔法学校のモデルともいわれているらしい。イソップはホグワーツに入るならレイブンクローかスリザリンだと思うんですが、なかなか意見が分かれるところだと思います。でも血統を重んじるスリザリンに入寮する上流階級出身イソップさんめちゃくちゃ滾りませんか。そんなパロディが読みたい今日この頃。

 

 しかし、彼には前述したような特性(アスペルガー症候群)が生まれ以て備わっていました。対人コミュニケーションを不得手とする特性の子どもが、二十四時間、学業だけでなく、密接すぎる対人関係の発生する場で暮らすことが、どれほどの苦痛と、周囲との軋轢を生んでしまうかは、想像に難くありません。上流階級層の子どもという関係であれば、猶のこと高度な「言葉の裏の読み合い」なども必要とされたでしょう。イギリス人、皮肉好きだしなあ……(※偏見です)

 そういったことを想像してゆくと、イソップが「ここで彼を受け入れることは出来ない」と教育機関側に言い渡されてしまったという経緯も、無理からぬことな気がします。

 もしかしたら、それによってイソップも生家(R家)からカール家へ行かざるを得なかったのでは、なんて妄想もはじまったりしてしまいますね……。いやめっちゃつらい。

 話が逸れましたが、そんなわけで「イソップは出自的にパブリックスクールに進学しただろう」と推測が立ち、そして「彼の特性がゆえに退学した」という風に推察できるわけです。

 また、たとえ中流階級でも、上位層に位置する家では、貯金をして自身の子をパブリックスクールに進学させる傾向がありました。子供に英才教育を施して、のちのちのためにコネクションを作ったり、出世させるためですね。大学へ行くためにもパブリックスクールへの進学は必要でした。

 もしイソップが中流階級の出自としても、パブリックスクールへ入学していた可能性は大いにあるということです。

 

アスペルガー症候群

こんな小さな注釈で解説するのはおこがましいですし、かなり難しいのですが、本当に簡単にまとめると、知的障害や言葉の遅れなどはないものの、特に「コミュニケーション」や「対人関係」などに不得手な方が多い、とされています。言葉を真っ直ぐに受け取る傾向が強く、行間を読むこと、言葉の真意、裏を読み合うことなどが苦手で、そのために苦難も多いのだそうです。特定の「こだわり」なども持ちやすく、しかし、そのこだわりを基に抜群の集中力や実力を身に着け、その分野の一流となる方も多数見受けられるのだそうです。筆者が読み漁った限りでは、歴代の偉人、エジソンアインシュタインなどがそうだったのではないか、と推察されていたりしました。

 

十一歳の分かれ道

 加えて、ちょうどイソップが生きていただろうと思われる年代、イギリスではとある法律が施行されます。

1944年に施行された教育法、通称「バトラー法」というものです。世界史を履修していたはずの筆者はまるで聞き覚えがありませんでしたが(だめすぎる)、結構有名な法律みたいです。

 バトラー法とは、簡単に書くと、「十一歳になったら全員かならず試験を受けて、三種類の、どこかしらの公立中等学校へ振り分けられる」というものらしいです。(三種別制度ともいうらしい)

 試験を受けた子どもは、その成績によって、上位、中位、下位と三種類に振り分けられます。一見すると「その子に適した教育を受ける機会が与えられる」的に感じられるかもしれませんが、生まれつき教育に接することのない環境で育った者は、その状態で試験を受け、そのまま下位レベルの教育機関に送られ、労働に必要程度の教育だけを受けます。そうして労働を続け、その子どももまた、同じ環境で生まれ、同様のことを繰り返します。逆に、生まれつき知識に接することのできる、恵まれた環境の人間は上位の学校へ入学し、更に上質の教育を受けてゆきます。

 なんというか、色々物思うところのある、そういった法律と制度の時代でした。

 そんなわけで、もしイソップが上流階級の出自でなくても、「十一歳で進学し、それ以降に退学した」ということは確定となります。

「イソップ」のプロフィール

 推定した時代に、さらに【イソップが退学となったのは十一歳以降】という項目が加わりましたので、イソップが生まれた年代は【1943年~1965年のあいだ】となりました。(最高でも、1976年時点で十一歳以上となっている必要があるため)

 これまでの考察をまとめてみましょう。

 

  • 出身国はイギリス(※英語圏内且つ、アメリカ出身ではない)
  • 1943~1965年の間、5月11日に誕生
  • 上流階級の出自(の可能性あり)
  • 十一歳以降に進学し、退学した
  • パブリックスクールへ進学(した可能性あり)

 

 これは……、我ながら順調に考察出来たのではないでしょうか!

いや~、血沸き肉踊りますね!

 プロフィール考察も深められたところで、これまでのことを念頭に置きつつ、さらなる深淵(という名の沼)へ向かってみましょう。

2.「イソップ青年」の軌跡 ──和訳から読み取る生い立ち

英和訳から読み取る

 というわけで、だいぶお待たせしてしまいましたが、ここからは背景推理の英和訳をメインに、衣装や携帯品などの英和訳も並行して、改めて考察をしてゆきたいと思います。

 ……が、その前に。(また?)(すみません)

 この「背景推理」という単語ですが、こちらにもどうやらヒントというか、謎が隠されていたようだったので、そちらにまず触れたいと思います。

〝背景推理〟とは ~Deduction Target

 各キャラクターの人物背景を探るにあたり、読み解きが欠かせないのがこの背景推理。

 あまり聞きなれない言葉ですが、でもまあキャラクターの「背景」を読解=「推理」するわけなので、違和感はないといえばない……と納得していました。(もちろん個人的にです)

 しかしながら、英語版を覗いてみると、どうやらそういう納得の仕方は少し違ったようでした。

 英語版では、背景推理という箇所には【Deduction Target】という言葉が充てられています。

 それぞれ単語の意味を調べますと、

 

【Deduction】 推論,演繹,推論の結果

【Target】 目標,狙い,対象

 

 ここで既にハッとされた方もいらっしゃるかと思います。

 そうです、第五人格というゲームにやたらと頻出するあの単語がいるのです。

 その名も【演繹】。えんえきと書いて演繹。

 つまり、背景推理とは【演繹対象】という意味だったのです。

演繹 ──思考法

 そもそもが演繹ってなんだか聞きなれない単語ですよね。見たことはあったけれど、第五人格をプレイして「えんえきって読むんだ~」と思ったくらいには、個人的に聞き慣れない単語でした。普通に存じてましたら恐縮です。

 さっそく、ワールドワイドウェブの力をお借りして、演繹について調べてみました。

 

【演繹】

 1. 一つの事柄から他の事柄へ押しひろめて述べること。「身近な事象からすべてを演繹する」

 2 .与えられた命題から、論理的形式に頼って推論を重ね、結論を導き出すこと。一般的な理論によって、特殊なものを推論し、説明すること。「三角形の定理から演繹する」⇔帰納

weblio辞書から引用)

 

 うーんよく分からない!

 ところがどっこい、ワールドワイドウェブさんは優しいので、優しく簡単に演繹について教えてくれるウェブサイトがたくさんありました。インターネットって素晴らしい。

 「帰納法」はご存じでしょうか。小難しい論文などを呼んでいると出てくるあの単語です。

 前述の引用にもありますが、「帰納」とは「演繹の対義語」になります。

 つまり「演繹法」も存在します。

 その「演繹法」について考えると、演繹そのものも分かりやすいです。

 

 簡単にまとめると、【演繹法】とは「いくつかの情報を論理的に組み合わせて、ひとつの結論を導き出す思考法」のことを言います。

 有名なのが「三段論法」というやつで、

 

  • A=Bである
  • B=Cである
  • のとき、A=Cである

 

 という論理、思考法のことです。たぶん数学の時間とかに出た気がします。遠い昔なのでちょっとおぼろげです。

 つまり、めちゃくちゃ要約すると、三段論法みたいな【思考法】を用いて論理を組み立てることを【演繹法】というようです。(要約しすぎて語弊があるかもしれません。間違いがありましたらぜひ本書に書き加えてください)

 「演繹法とは思考法なんだ」ということが伝わっていれば大丈夫です。

 

 まとめますと、私たちが日本語版で「背景推理」と認識していた単語は、英語版では「演繹法を用いて結論を導き出す、論理を組み立てる対象」という意味の単語だった、ということなのです。

 これって結構大きなことだと思います。「読んでキャラ背景を推理(想像)してね」ではなく「ここにある情報は思考法を用いて結論を導き出す対象である」と言われているわけですから、ちょっと一項一項に書かれていることの重みが変わってきます。ひとつひとつの情報が無駄のないそれと説明されてしまっている。

 そう、例えば「目標:ハンターから逃げる」などすら、人物を読み解く演繹対象なわけです。ヒントなのです。

 ちょっと長くなりましたが、以上を前提に、改めて「背景推理」の英和訳を進めていきます。

 

帰納法

なんとなく聞いたことがあるけれど多分難しいんだろうなあと思わせる、頭が良さそうな単語。(これは頭の悪いコメント)

分かりやすい解説サイト様いわく、『いくつかの既成事実の中に共通していそうな結論を導く」思考法』なのだそうです。ここで書くにはちょっとスペースが足りないので、よければ調べてみて下さい。

(参考サイト:「演繹法帰納法について、ゆるーく考えてみる」)

 

1.学徒~Apprentice

 まずタイトル「学徒」ですが、どうやらこれは中国語原文そのままを使っているようです。(中国語原文も「学徒」表記でした)

 しかしながら、中国語と日本語は同じ漢字文化圏の言語ではありますが、漢字や熟語そのものの意味は、そっくりそのまま、というわけではないようなのです。

 日本語で「学徒」といえば、そのまま英語でいう「Student」です。または「Scholar Monks」などにも訳されます。要するに生徒や学問の徒、という意味になります。

 しかし、英語版でのタイトルは「Apprentice」、「見習い、実習生、弟子」などの職業的な意味を指します。ちょっと、あるいは大幅にニュアンスが変わりますね。言語って難しい。

 本来はひとつひとつ、単語のニュアンスを検証して書き記していきたいところですが、そこは泣く泣く省きまして、和訳したものだけを掲載したいと思います。

 

1.見習い、弟子

 僕の母が死神(の考えを)受け入れたその日、僕は彼の弟子となることを決心した。

目標:

サバイバーの外観の記録をする

終結論:

一葉の写真。年長のエンバルマー(納棺師)は、カールが彼(=年長の納棺師)の背後の墓石/墓碑を振り返りつづける間、カールを自らのその手で共同墓地の外へと案内し続けた。

 

 ううん。日本語版とちょっとニュアンスが変わりました。

 まず「死神」の部分ですが、英語版では「Death」と表記されています。大文字表記のDeathとは、あの大鎌を持った死の象徴「死神」を意味しますので、死神という訳し方は問題ないと思われます。

 (ただ、一応中国語原文も確認したところ、「死神」という表記はなされていましたが、「死神」という単語は「死」そのものを意味する単語、漢字でもあるようなのです。そうなると、この死神とは「死」と訳するのが適切なのかもしれないです……)

 日本語版では「母が死神に抱擁された」とありますが、中国語での慣用句なのでしょうか、死神の抱擁は「死を受け入れる」という意味と辞書にはありました。英語版でも「embrace:(考えや主張を)受け入れる、承認する」という動詞が使われています。

 一応、embraceは「hug:抱擁する」に近い意味もある単語なのですが、大まかな意味としては「受け入れる」という意味に寄るものと思われます。

 また、「彼の弟子になる」の箇所は「his」を使われていたので、男性を指します。

 「僕」はイソップ自身、「彼」はジェイ・カール、そして母はY.R.を指すものとみて間違いないようです。

 意訳を含めてまとめると、

「僕の母が死神(と称するに値する人物)の考えや主張を受け入れたその日、僕は彼(=死神)の弟子になると決めた」

「目標は、他者の顔を記憶すること、認識すること」

「最終結論。一葉の写真のなかにふたりの人物が映っている。ひとりは年長の納棺師。もうひとりはカール(と呼ばれる人物。年齢は不明)。年長の納棺師は、背後の墓地を振り返り続けるカールを、その手で引いて共同墓地の外へと連れてゆかんとしている」

 ポイントは「Y.R.は共同墓地に埋葬されている」「イソップではなくカール呼び」「イソップはジェイ・カールを死神と認識していた?」という点にあるかと思われます。

 続いてゆきましょう。

 

■学徒(日本語)

① 学問の研究をする人。研究者。学生(がくしょう)。

② 学生と生徒。

■学徒(中国語)

中国語の「学徒」は元々は「學徒」と書き、英訳での

Apprentice」にあたる。

Studentとは少し異なる。

同じ漢字なのにな~。

■死神

生命の死を司るとされる伝説上の神で世界各地に類似の伝説が存在する。冥府においては魂の管理者とされ、落語など様々な娯楽作品にも古くから死を司る

存在として登場する。

wikipediaより引用)

 

2.たぶん、僕は…~Maybe,I…

 

2.もしかしたら、僕は…

思うのですが、彼が本当に必要としているのは医者や詳しい人です…。

目標:

仲間の治療に成功する

終結論:

一枚の退学通知書、または退学通知届。

「イソップは自閉症か、なにか問題を抱えているのかもしれません。どちらしろ、私たちは彼(イソップ)がここで学習、勉強することは出来ないとあなた様にお伝え致します。大変申し訳ございません。」

 

 日本語を整理しつつ意訳も含めてまとめます。

「誰かが、彼(hisなので男性)には医者や、それか詳しい専門の人間が必要だと考えている」

「目標は、仲間の治療をすること。成功すること」

「最終結論。一枚の退学通知書があり、それはイソップが入学していただろう学校からのものと思われる。学校で自閉症(=autism)か何か、彼自身の持つ特質を要因に退学を言い渡された様子」

 和訳し直してもめちゃくちゃしんどい内容には変わりがありませんでした。つらい。

 ここでのポイントは、ひとつめは「退学通知書」にて伝えられている「あなた」が「Sir」表記であること。つまり地位の高い人物へ充てられたものだということです。場合によっては、英国などでは準男爵などに充てられる表記だったりもするそうで。

 つぎにふたつめ。退学の理由が「自閉症=autism」であること。

 自閉症についてはすでに推察したとおりで、イソップが生きる時代により、本来の診断名を誤認されていた可能性を考察できます。それにより彼の生きる年代が特定できると考察しました。

 

準男爵(バロネット)

イギリスの世襲称号のひとつで、男爵の下位、ナイトの上位に位置する。世襲称号の中では最下位。イギリスの政治には貴族院がありますが、その貴族院には席を置けない、くらいの地位らしいです。え、なんか燃える……。

 

時系列の前後

 そして最後にみっつめのポイント。この退学通知書は、イソップのことを「カール」ではなく「イソップ」と呼称しています。「1.学徒」ではカール呼びだったにも関わらず、です。

 ここで推察されるのは、時系列の順序です。

 イソップは、ジェイ・カールに引き取られるまでは別の姓名があったはずでした。(仮としてイソップ・Rと呼称しましたね)

 そうなると、「1」の時点で、イソップは既にジェイに引き取られ「イソップ・カール」と名前が変わっていたことになります。そして「2」では、まだ「イソップ・R」と、旧姓のままだった。

 つまり、【イソップの背景推理の時系列は、番号順ではなく、前後している】ことが伺えます。

 そして、【学校を退学となったのは母が死ぬ前、カール家へ引き取られる前】となります。

 なにやら複雑になってきました。

 

3.ステップ~Steps

 今までがイソップの背景を語っていたのに対し、突然展開が変わるのがこの三項目です。

 

3.段階、一歩、ステップ

平静に、正確に、明白にはっきりと。

目標:

完全な調整に成功する

終結論:

着実に、徐々に、段階的に案内する。または指導する。

彼らを説得して、納得させてみて下さい。それでもうまくいかない場合は、どうぞ、彼らに水和臭化物を含んだ注射を打ってください。

 

 1,2の悲しみからの不穏でジェットコースターがすごいです。これぞイソップ・カールの魅力のひとつ(?)。

 おおよそ日本語版と相違ないと思うのですが、「2」の時点で「時系列は前後している」という前提をおくと、「これが、いつの、誰による説明であり、語り口であるか」は思うよりも意味が変わってくる気がします。

 また、「彼らを説得する」部分には「Convince:納得させる、説得する、信じさせる、~するよう促す、仕向ける」という動詞が使われています。原案から変更がないのであれば、これは恐らくジェイ・カールにおける「納棺」を指すものと思われます。「彼ら」に死を促している、と読み取れるからです。(注射打とうとしている時点で「納棺」確定ですけど……)

 また、「説得して、納得させてみて下さい」の部分。同様の箇所に「Try to:~してみて」と置かれています。

 つまり、文脈的に、この文章は誰かに「説得をしてみなさい」と、「手ほどきをしている」「教えを説いている」内容と読み解くことが出来ます。

 しかし、誰が、誰に、という部分は言及できるほど明確ではありません。(順当に読めばジェイがイソップに、となるのですが、それはここでは割愛します)

 

「誰かが誰かに、とある手順の手ほどきをしている様子がうかがえる」

「その手ほどきとは、相手を説得し、納得させ、とある方向へと促す手段を指す」

「目標は〝完全な成功〟」

「最終的には薬物の投与を容認している=非合法の行為だと推測できる」

 

 こういった点がポイントかと思われます。

 

4.死神の花束~Bouquet of Death

 ここで再び「死神のターン」です。イソップの背景推理には、計三回「Death=死神」が登場しますが、その二つ目となります。

 

4.死神の花束,ブーケ

鮮やかな色たちは、灰色の共同墓地でその色を表す。

あるときは血から、あるときは花から。

目標:

ハンターから逃げる

終結論:

一通の手紙。

親愛なるイソップさんへ。ご無沙汰しています。

午後、共同墓地の東の角(隅)にある、黄色の薔薇の花園であなたを待っています。

お会いできるのが楽しみです。

 

■共同墓地

血縁とは関係なく、複数人の人々が同じ場所へ埋葬される墓地のことを指します。

イギリスでは裕福な層は代々の一族の墓を所有するものですが、もしイソップが上流階級の出自だとして、それなのに母親が一族の墓でもなく、個人の墓=Graveでもなく、あえて共同墓地に埋葬される、そしてその場所があえて頻出する、というのは何故なのか。妄想が捗る部分です。

 

 ここで「1」から再度登場する「共同墓地」の存在です。頑なに「Grave:墓、墓所」ではなく「Cemetery:共同墓地」と表記することには意図があると推測します。そして、その「東の角(隅)」に在るという「黄色の薔薇の花園」、第五人格世界においてキーとなる「手紙」の登場。かなり重要度の高いだろう気配がビンビンしています。

 色々触れるべきですが、まずは手紙です。

丁寧な手紙 ──イソップとの関係

 まず驚かれるかもしれないのは、日本語版との「雰囲気の差」じゃないかなと思われます。

 日本語版での手紙の語り口は、割と砕けているというか、「とても親しい人」からの手紙、という印象の強い文面でした。めちゃくちゃフランクですよね。舞台版の占い師なみにフレンドリーです。

 

■舞台版の占い師

俳優の千葉瑞己が演じる。めちゃくちゃフランク、フレンドリー。すぐに歌う。

 

 ご存じのように、英語には謙譲語や尊敬語など、敬語というもの、そういった概念が基本的に強く重視されませんので、訳し方によっては、日本語にすると一人称すら変わります。

 だから、文面の印象は訳者によるだけでは? とも思えますよね。

 ですが、この手紙の英文をちょっと見てみて下さい。

 

「Dear Aesop, it has been a while since we last talked.」

 

 こちらは和訳の「親愛なるイソップさんへ。ご無沙汰しています。」の部分にあたります。

 ネットなどで検索してもらえると分かるのですが、日本語版のような「久しぶりだね」という、とてもカジュアルな、親しい仲の人へ充てるものとしては、「Long time no speak.」あるいは「Long time no talk.」といったフレーズを使うそうです。

 しかし、英語版のようなフレーズはどちらかというと「丁寧な言い回し」であり、日本語に訳するなら「ご無沙汰しています」という文面が近い印象なのです。

 例えば、ビジネス英語で「It has been a long time since I saw you last.」は「長らくごあいさつに伺わず失礼いたしました」といった訳文になります。英語版での文面と近いですよね。

 また、和訳文の「お会いできるのが楽しみです。」の部分ですが、英語版では「I look forward to seeing you.」となっています。

 こちらも、ほとんど手紙における定型文に近いフレーズでして、そして丁寧な言い回しです。(辞書とかにも載ってるフレーズですね)

 以上のことからも、訳し方に寄るとは重々承知しつつも、英文を見る限りでは、どこか「めちゃくちゃフレンドリーに接する仲の人」という感じではないのです。

 そういった点から、本書での和訳では、日本語版とで雰囲気の差が生じることとなりました。

 そうなると判明してくるのは、「この手紙は、丁寧な言い回しを使った、ビジネス文書にも近い文面」だということで、そういった手紙を送る相手とは、つまり「イソップにとって知っている人」だけれど「フレンドリーに接する仲の人間ではない」、「イソップに対して丁寧語を使う存在」ということです。そしてイソップは、「相手とは交流、あるいは面識があるが、久しく会っていない」。

 ここからは推察となりますが、それらすべての条件に沿う人間として浮上するのが「母Y.R.の忠実なる友人、エリサ」の存在です。 

エリサとは誰か

 エリサとは、冒頭でも紹介したように、イソップの人間関係における三人の主要登場人物のひとりであり、「2020年誕生日の手紙」に現れる人物です。

 少し逸れますが、「2020年誕生日の日記」の「エリサ」についての英語版文面に触れてみましょう。

 彼女について、英語版ではこう書かれています。

 

「my most loyal friend, Elisa

 

 直訳すると、たしかに「私の最も忠実な友、エリサ」となります。

 しかし本書は考察という名の突っ込んだ妄想本。突っ込んで読み解いちゃいます。

 

【loyal】形容詞

忠誠な、忠実な、忠義な

【海外辞書WordSence Dictionalyより抜粋した単語自体の意味】

誰かや何かに対して、分け隔てなく常に支持すること、またはそれを示すこと。

人や組織にしっかりと忠誠を誓う。

ある人物や大義名分に忠実であること。

 

【friend】名詞

①友人、友達、仲良し

②味方、同士、仲間

③後援者、支持してくれる人

【海外辞書WordSence Dictionalyより抜粋した単語自体の意味】

友人。

家族、配偶者、恋人以外の人で、付き合いを楽しみ、愛情を感じる人。

ボーイフレンドやガールフレンドのこと。

援助してくれる仲間のこと。

何かを支持する人のこと。

 

 loyalとは、「対象を支持し、忠誠を誓う、忠実に接する」意味合いの単語であり、

 そしてfriendには、友人以外にも「味方」「支持者」といった意味合いが含まれていることが分かります。

 ここで浮かぶ疑問とは、「対等な友達に対して、忠実や忠誠を誓う、といった単語を用いるだろうか?」ということです。

 逆説的に言えば、Y.R.にとって、エリサとは「対等な友達」ではない、という可能性が浮かぶわけです。

 忠誠を誓う、と聞けば、思い浮かぶのは騎士や志士などが「目上の者を支持する」姿です。

 もしかしたら、この「friend」とは、友人という意味ではなく「味方」「支持者」という意味で用いられているのではないでしょうか。

 そして、エリサとは、【Y.R.を支持するもの】であり、【Y.R.の味方】であり、【忠誠を誓う目下の立場にある者】なのではないでしょうか?

 もしエリサが、Y.R.にとって「忠誠を誓う、目下の立場にある者」であり、「Y.R.の味方で、支持者」だとしたら、それはいったいどんな人物でしょうか。

 個人的に、端的に思いつくのは「使用人」です。

 ヨーロッパ圏内では、特に英国では、上流階級はもちろん、中流階級者も、その階級の示しをつけるべく「使用人」つまりは労働階層にある人間を一人は雇うことが習慣として根付いていました。

 そして、イソップの生家とは、前述したように「イギリスのupper class=上流階級」に位置していたのでは、と本書では考察しています。

 そもそも、「イソップ・カール」のプロフィールにも「中産階級」と掲載されていますので、引き取り先のカール家そのものもmiddle class=中流階級には位置していると推測できます。

 

 まとめますと、イソップの出生、あるいは身を置いていただろう階級とは、労働者階級の人間を雇用していた可能性が充分にありうるわけです。

 そうなると、上流階級の出自であるイソップの母、Y.R.の「最も自分に忠誠を誓う、目下の立場にある、彼女にとっての味方」である存在とは、ひいては「エリサ」という人物とは、イソップの生家に雇用されていた「使用人」だったのでは、と推測できたりしちゃうわけです。

 

中流階級中産階級

中流階級とは上流階級の下の階級を指しMiddleclass(ミドルクラス)と呼びます。上流階級の人々は労働をしませんが、中流階級の人々は自らの労働によって生計を立てます。しかし、同じ労働でも医師から小作人まで幅が広すぎるため、現在でいう「ホワイトカラー」と称される人々を「中産階級」と呼ぶようになりました。教養とか学歴とかが必要な上位の労働者のこと、とイメージすると分かりやすいかもです。いやめっちゃランク付けするやん…。世知辛い。

■20世紀の使用人

イソップが生きていたと思われる20世紀にも、イギリスには貴族が存在し、そして使用人も存在しました。海外ドラマ「ダウントン・アビー」がちょうど年代的にもジャストヒット。

 

手紙の主

 閑話休題。そんな推測をたてた上で、背景推理に戻りましょう。手紙の話ですね。

 もしエリサが、Y.R.が最も信頼を置いていた使用人で、味方であったなら。そしてこの手紙の差出人だとしたら。いろいろなものに説明がつく気がします。

 手紙の差出人とは、「イソップにとって知っている人」だけれど「フレンドリーに接する仲の人間ではない」、「イソップに対して丁寧語を使う存在」人物でした。

 そしてイソップは、「相手とは交流、あるいは面識があるが、久しく会っていない」。

 もしエリサがイソップの生家の使用人であったなら、仕えた人間の子息にあたるイソップに丁寧な言葉を使うだろうことも、納得がゆく気がします。

 そしてもし、この手紙を受け取った時点でイソップが既に「カール姓」であったと仮定したとして。

 生家の、存命だったころの母の使用人とも、「交流、あるいは面識はあったが、久しく会ってはいない」のではないでしょうか。

 まとめましょう。

 エリサは、母Y.R.の信頼のおける忠実な使用人だった。だからこそイソップとも面識ないし交流があった。しかし、それは過去の話であり、カール姓となったイソップは、手紙の差出人であるエリサとは久しく会っていない。

 そして、「4.死神の花束」で、エリサはイソップに手紙を送った。だからこそのあの手紙の文面だった。

 ……こう結論付けると、手紙における条件には、すべて合致、もとい説明がつくかと思われます。

 めちゃくちゃ長くなりましたが、手紙については「とても丁寧な内容で、色々考えると、差出人はエリサかな?」という考察がたてられそうだ、ということでした。

死神とは誰か?

 手紙に触れすぎてちょっと脱線してしまいましたが、この「4」のポイントはほかにも挙げられそうです。

 すでに指摘した「黄色の薔薇の花園」も「東」もですが、やはり触れなければならないのはこれです。

 目標が「ハンターから逃げること」という点です。

 これは大きなポイントだと思われます。なんたって背景推理とは「演繹法を用いて組み立てる情報たち」のことなのですから。

 また、忘れてはならないのが、タイトルの「死神」の存在。

 「Death=死神」が登場したのは「1.学徒」でした。そこで、イソップは「彼=死神」に弟子入りを決心した、という風にも読み取れると推測しました。

 誰に弟子入りしたか。死神はもちろん比喩です。比喩の対象は、たったひとりしかいません。

 ジェイ・カールです。

 もしもです。背景推理内における「Death=死神」が、ジェイ・カールの比喩であり、彼を指す言葉であったなら。

 「ハンターから逃げる」とは、何を意味する言葉なのでしょうか。

 そういった点を念頭に置きつつ、先に進んでみましょう。

 

5.勇気を出す~Be brave

 背景推理も約半分です。いってみましょう。

 

5.勇気をもって、勇気を出して

さまよう人々……は、とても臆病だから。

目標:

単独で暗号機を解読

終結論:

死亡報告(書)、訃報

死亡時間も原因も不明。

私たちが唯一、はっきりとさせられるのは、管理人(担当者)のサイン、署名だけ。

だから、勇気を出して、世界に別れを告げましょう。(告げて下さい)

 

 はい、不穏なターンの再来です。ぞくぞくしますね、この緊張感。

 日本語版ともそこまで相違はなさそうに思えますが、やはり要所で気になる箇所は浮かんでくる感じです。

 まずタイトル。英語版では「Be brave」となっています。Be動詞からの命令形となりますので、「勇気を出す」という自己の決意ではなく、他人からの「勇気をもって挑め」「勇気を出せ」「勇気を出して」という「指示」的な意味合いへと変わります。これだけでも大きいですよね。いったい誰が、誰に指示してるんでしょうか。

 そして「単独(英語ではsoloが充てられてます)、つまりは自分一人での解読」が目標。誰かの力を借りないで、ということですよね。誰が、誰の力を借りないのか?

 そうしてまた、少し難解な内容ののちに、最後に不穏な文面をまとめる「だから、×××してください」という〝指示〟の言葉。

 簡単に読み上げるだけでも、誰かが、誰かに「説得」してますし、されてますよね。

 

 登場するのは「さまよう人々」と「文面内容を語りかけている誰か」と、そして「管理者(担当者)」の三名です。

 さまよう人々とは、原案に登場するジェイ・カールの「納棺」対象の人々のこととみて間違いないでしょう。ちなみに、英語版では「Wanderes:さすらい人、放浪者=ひとどころにとどまらず、あてもなく移動する人」という単語が宛がわれています。

 そのさまよう人々に説得するのは、納棺をする人物。すなわち「ジェイ・カール」、もしくは「1.学徒」で「死神への弟子入りを決意したイソップ」と思われます。この文面だけでは、どちらなのかまでは明確にできません。

 そして最後に、「管理者(担当者)」です。突然、ふいに存在感を露にする謎の人物です。

administraterとは ──死後の代理人

 この管理者(担当者)ですが、「administrator」という単語が宛がわれています。どういう意味の単語か、さっそく見てみます。

 

【administrator】名詞

管理人、担当者

=person in charge

【海外辞書WordSence Dictionalyより抜粋した単語自体の意味】

 

 民事、司法、政治、教会のいずれにおいても、事務を管理する者、指示する者、管理する者、実行する者、処分する者を指す。

 法的な意味としては、遺言者または遺言執行者がいない場合の遺言者の遺産を管理、または解決する者,権限のある当局から管理権を委ねられた者を指す。

 なるほど、よくわからん。

 ただ「管理する人」ってだけの意味ではないようです。

 加えて、「故人」や「死者」に関連した重要な単語みたいですね。そこらへんを噛み砕いていってみましょう。

まず、「遺言者」と「遺言執行者」について。

 

『遺言者とは、遺言をする人のことです。

遺言書とは、自分の最終の意思を明らかにする書面のことですが、遺言者とはその遺言書を作成する人のことです。

つまり、遺言書は遺言者の最終の意思内容を明らかにしていることになります。』

 

遺産相続相談窓口HPより引用

https://www.isansouzokumadoguchi.com/

 

『遺言執行者は、遺言書の内容にしたがい、故人の意思を実現する役目を担います。』

 

公益財団法人日本ユニセフ協会 HPより引用https://www.unicef.or.jp/index.html 

 

 なるほど。遺言者とは、遺言書を残す人(=のちのちの故人)のことで、遺言執行者とは、その故人が書き残した遺言書に沿って、内容を実現していく人のことのようです。またひとつ賢くなりました。(私が)

 そこらへんを踏まえて先ほどの文章を噛み砕いてみましょう。

 

【administratorとは、故人が書き残した遺言書や、遺言書の通りに実現する人(=遺言執行者)が〝いない場合〟に故人の遺産の管理や、それらに付随する諸問題を解決するなど、そういった権利を〝法的に委ねられている〟存在である】

 

 こんな感じでしょうか。

 もっと要約しちゃうと【えらいところから法的に(遺言のない故人の遺産などについて)なんか色々してもいいと許されてる人】って感じかと思われます。(ちょっと語弊もありますが……!)

 もしこの解釈が正しければ、──なんというか、この文面で登場してはいけない人物ベストスリーに入ると思うのは、私だけでしょうか。

 

■administrator

administratorは、日本語での対訳がうまいこと存在しないみたいです。「リサーチ・アドミニストレーター」という職も存在しますが、それは上級管理職とかなんとか全然違うあれでした。

 

死への誘導、その意図

 この「5」の内容とは、「誰かが誰かに、勇気をだせと〝指示〟をしている内容」だと綴りました。

 そして、それは「ジェイ・カールあるいはイソップからの、さまよう人々への〝説得〟」だとも推測しました。

 「勇気を出」すのは、さまよう人々です。彼らが「臆病だから」ジェイ・カールあるいはイソップは、勇気を出せと指示をしているのです。

 では、勇気をだした先で、何をどうしろと言っているのか?

 それは、「世界に別れを告げること」です。すなわち「死への誘導」を指示しているわけです。

死に誘導された先で、さまよう人は何になるか。何者になるのか。

当然、死者となります。故人となります。

 administratorは「遺言書のない〝故人〟の死後について、法的に関わること」ができます。

 そして、「私たち」、すなわち「5」の登場人物たちは、「死因も死亡時刻も不明」で、「管理者=administratorのサインや署名」だけを、はっきりさせることができる。

 言い換えれば、【どうやって死んだのか、いつ死んだのか、それらは一切不明なままにしておけるし、死後は管理者=administratorが動いてサインも署名もしてくれて、遺された人々はそれ以外は何も知らないままだ】ということです。

 もっと噛み砕いて、たとえばこんな想像をしてみます。

 

 とある空間に、AとBがいます。AはBに「勇気を出して、世界に別れを告げて下さい」と説得、あるいは指示をしています。

 Bは躊躇います。Aが思う通り、Bは臆病なのかもしれません。それか、慎重なのかもしれません。

 そんなBに、Aは言います。

「もしあなたが、自分が死んだあとのことを想像して不安に思っているのなら、その必要はありません。

 あなたは死んだあと、死亡時刻も、死因も、なにもその遺体から明らかにすることはできません。そのように、こちらできちんと手を打ちます。

 また、その後の遺産やもろもろの問題についても、心配いりません。管理者(=administrator)が良いように解決をしてくれます。

 だから大丈夫なのです。世界に別れを告げましょう。さあ、勇気を出して!」

 それを聞いてBはやっと安心します。そうして、Aの言葉にうなずきます。

 それにより、Aは〝単独での説得に成功〟しました。

 

 ──もちろん、これはあくまで想像です。妄想の域を出ない推測です。それはもう、行間を恣意的に埋めた文章でしかないのです。

 けれど、中らずと雖も遠からず、と思えてしまう程度には、いろいろと材料がそろっているように感じてしまうのがイソップ・カール背景推理の恐ろしいところ。

 そんな恐ろしさに歓喜で打ち震えながら、次へ行きましょう。

 

6.満開のあと~After the bloom

まず和訳です。

 

6.満開のあと,盛期を迎えたあと

死神の階段は、子どもの、成長中の植物には似つかわしくないし、適していない。

目標:

ゲートからの脱出

終結論:

「我が子よ、彼女はわざと死ぬつもりだったんだ。

私はといえば、ただ彼女を手伝っただけなのだよ。

ほら、ごらん。黄色い薔薇の茂みだ。

彼女の永い眠りにぴったりの場所だね」

 

■ゲート

出入り口。第五人格ではここから脱出をし、ゲームの勝敗を決めます。しかし、ゲートは本来「出入り口」のはずですが、第五人格のゲートは「出ること」しかできません。

 

 死神のターン第三回目です。これでイソップの背景推理における死神の出番は最後となります。

 これまた重要なワードだらけです。「Death=死神」「黄色の薔薇」「永い眠りについただろう〝彼女〟の存在」。

 そして、「ゲートからの脱出」という目標。

 これまでの英和訳で、「死神とはジェイ・カールを指すのでは」と推測しました。「イソップは彼をDeath=死神と認識している」可能性も指摘しました。

 そして「Death=死神」が登場したのは、エリサと思しき人間が手紙を差し出した「4.死神の花束」でした。また、そのときの推理目標とは「ハンターから逃げる」でした。

 舞台は、共同墓地の東の角にある「黄色の薔薇の花園」です。

 この「5」の舞台にも、また、黄色の薔薇が咲いています。

 これは偶然なのでしょうか?

〝彼女〟と〝死神〟と〝我が子〟

 ここで、ちょっとだけ過ぎた妄想をしてみちゃいましょう。

 

 死神と比喩するにふさわしい人が、そう、死へと相手を誘導するような、そういう存在がいたとします。

 その死神は、「我が子」に宛てられた手紙を知っていました。彼が黄色の薔薇の花園に呼び出されていたことを知っていました。そこで「我が子」は、誰かと会う予定でした。

 死神は、その差出人を知っていました。「我が子」が誰と会うのか理解していました。

 だから、黄色の薔薇の花園へ向かいました。

 手紙の差出人は、女性でした。「彼女」は約束通り、黄色の薔薇の花園で待っていました。

 彼女は気が付きます。誰かが来たと。

 それは約束の人ではなく、「我が子」よりも先に来た死神でした。

 死神の存在に気付いた彼女は、「(ハンターから)逃げ」ました。

 けれど、「共同墓地に鮮やかな色が咲き」ました。「それは花だったり、血の色だったり」しました。

 彼女は死神から逃れられませんでした。

 「黄色の薔薇の茂み」に横たわり、「永い眠り」についた彼女でしたが、そこへ、遅れて到着した「我が子」が現れます。

 「我が子」は瞠目します。「彼女」とは「久しく会っていないけれど、面識や交流のあった人」だったからです。

 戸惑う「我が子」に、死神は語ります。

「彼女は最初から死ぬつもりだった。そう、わざと死んだんだよ。私はちょうど、その手伝いをしてあげたところだったんだ。それだけだよ」

 「我が子」は、黙っていました。

 

 もし、もしもです。

 この妄想のようなことが起こっていたとして。

 そのときの演繹目標が、「ゲートからの脱出(この場、状態からの脱出)」だという、その恐ろしさと重要性が、伝わりますでしょうか。

 

 この項のタイトルに少し戻ってみましょう。「6.満開のあと」ですね。

 英語版では「After the bloom」とされています。直訳すると「満開に咲いたあと」ですが、「bloom」には比喩として「盛期を迎える」といった意味があります。いちばん満開の頃、開花しているころ。すなわち、その対象にとって、いちばん盛りのある、栄華を極めるような時期ということですね。

 その「盛期を迎え」たあとが、どんなものかといえば。

 そうです、「盛期は終わり、衰えていく時期」がはじまります。

 満開の花は、あとは萎み、枯れて、朽ちていくだけです。

 

 少しずれて、ちょっと難解な訳文となっている「子どもの、成長途中の植物」について触れましょう。

 ここでは「The stairway of Death is not suitable for growing plant.」という文章が綴られています。「glowing plant」が「子どもの、成長途中の植物」の部分にあたります。すべてを直訳すると、日本語版のようなちょっと不思議な文章になります。なんというか、意味不明ですし、難解です。

 plantには植物の他に「工場」などの意味もありますが、ここでは「植物」のままで受け取っていいと思われます。なぜなら、この「5.満開のあと」では「植物」がキーワードと受け取れるからです。タイトルには、文字どおり植物が比喩として用いられている可能性があり、舞台も「黄色の薔薇の花園」の可能性があり、「彼女」が永い眠りにつく=横たわっているのは、「黄色の薔薇の茂み」であるからです。

 

 もしも、タイトルが想像通りに「植物の様子」を「比喩」として用いているのなら、この「子どもの、成長途中の植物」もまた、比喩であると予想できないでしょうか。

 「成長途中の植物」は、「死神の階段には似つかわしくない」と説かれています。死神とは、妄想を前提に進めるなら、すなわち「彼女を殺した人物」です。その死神の「階段=昇ってゆく場所、あるいは降りていく場所」は、成長途中の植物には似つかわしくないですし、不適切なのだそうです。

 

 また少し逸れますが、(妄想を前提に進めてしまって恐縮ですが)この場には三人の人物がいると仮定できます。

 一人は「死神」です。手紙の差出人である女性を殺しました。

 一人は「彼女」です。死神に殺されました。黄色の薔薇の茂みで眠りについています。

 そして最後の一人は、「我が子」です。彼女に会いに来て、そして「親であろう誰か」から「弁解」をされています。彼女は自分から死のうとしていたと。

 消去法でいくと、この場で「成長途中の植物」に充てることができるのは「我が子」だけです。「彼女」は死んでいるからです。もう、成長しません。この場で生きているのは、死神か我が子だけ。

 そうなると、【死神の階段、つまり「死神が向かう道、方向」は、「我が子」がゆくものとしては「似つかわしくない」】という文面が完成します。

 タイトルもまた語っています。「満開のあと」だと。「盛期を迎えて、あとは衰えゆく」と。

 衰えゆくのが何を指すかと言えば、やはり死神のことでしょう。だって我が子は「成長」してゆきます。これから咲くのです。

 ここで演繹目標を思い出しましょう。「ゲートからの脱出」です。この場から、この状態からの脱出です。

 満開の、盛期を迎えている死神に脱出は不要でしょう。

 なら、「この場から、この状態からの脱出」が必要なのは、「成長途中の植物」である「我が子」しかいません。

 イソップしかいません。

 

■bloom

Bloomには「頬のバラ色」「健康色」といった意味がある、ともされています。頬のバラ色が過ぎたあと、終わったあと。「健康的な色でなくなるころ」。それって、まるで死んだあとの、青白い死者の色みたいでもありますね。

■黄色の薔薇の〝茂み〟

なぜ「花園」ではなく「茂み」と表現されているのか不思議な箇所ですが、「茂み」とは下方を指す単語なので、なるほど、「彼女が眠りについて、地面に横たわっている」ことを示唆しているのだなと逆に説得力をもたらしてくれます。

 

エデンの東 ──人類初めての殺人と嘘

「なんだか急に妄想の度合いが強くなってない?想像めちゃくちゃ逞しくない?」

 そう感じられる方もいるかもしれません。あなたのような勘の良いオタクが好きだよ……。(by鋼の錬金術師

 実は、「黄色の薔薇の花園」には、「殺人」が行われ、それに伴って「嘘が吐かれている」場所なのでは、と危惧される要素があるんです。

 それは、花園が「東の方角にある」ということに依ります。

 

 東、というワードでなにかピンと来る方はもうご存じかもしれませんが、キリスト教、ひいては聖書の世界には「エデンの東」というものが存在します。用語というか、そういう概念というか。

 かいつまんで説明しますと、最初の頃、楽園=エデンには神様が作ったアダムと、そのアダムから生まれたイヴがいました。なんやかんやあって、アダムとイブは神様によって食べることを禁じられていた「知恵の実」を食べてしまいます。約束を破ったふたりは、そうして、楽園=エデンを追われます。これがいわゆる「失楽園」です。

 楽園を追われたふたりは、追われた先の地で三人の子どもを作ります。カイン、アベル、セトの三人の子どもです。(セトはあとから産まれた子ですが)

 まあなんやかんやありまして、あるとき、兄カインは弟のアベルを殺してしまいます。これが人類初の最初の【殺人】とされています。最初が兄弟殺しってハードル高すぎやしませんかね。性癖歪み過ぎよ。

 それはともかくとして、神様はカインに「弟を殺したか?」と尋ねます。もうバッチリ殺してますが、カインは「自分は知らない」と【嘘を吐き】ます。しらばっくれます。

 なんたって神様なので、向こうはそんな嘘もばっくれもご存じなわけです。カインは【殺人】と【嘘を吐いた】【罪】に問われ、さらに「東」へと追われます。殺した上に虚偽をして、罪に罪を重ねたわけです。ちなみに、カインが追われた先の地は「ノドの地」と呼ばれています。

 ざっくりとしたお話はこんな感じなのですが、でもこれだけじゃ「だから?」って感じですよね。

 もともと、楽園=エデンとは、創世記では『東のかた』にあるとされています。

 そして、アダムとイブが失楽園によりエデンを追われたのち、神様はふたりが戻ってきて「生命の樹の実」まで食べてしまわないよう、守り人として「智天使ケルビム」と「回転する炎の剣」を置きました。置いたのは、『エデンの東』側です。

 また、知恵の樹と生命の樹は、エデンの中央に植えられていたとされています。

 なんだか、中央だったり東だったりと位置関係が分かりにくいので、もう少し丁寧に追ってみますね。

 

 まず、楽園=エデンは「東のかた」にあります。

 そしてその中央に、生命の樹と知恵の樹が植えられています。

 アダムとイブは、そのエデンから追放されます。

 どちらの方角に追放されたのかと言えば、それは、ふたりが入ってこないように智天使ケルビムと炎の剣が「エデンの東」に置かれたことから考えて、恐らくは東の方角と思われます。

 その「エデンの東」で、カインによる【殺人】と【嘘】が行われます。

 

 位置関係を当てはめると、次のようになります。

 

 「黄色の薔薇の花園」は東の方角にあります。つまり「楽園=エデン」ともいえます。

 アダムとイブによる失楽園は東の方角です。つまり、「黄色の薔薇の花園」は楽園であり、同時に「失楽園」ともいえます。ダブルミーニング

 失楽園では、「殺人と嘘」が行われます。そして、その「罪が問われる場所」でもあります。

 よって、「黄色の薔薇の花園」とは、【殺人が行われ、殺人に関連する嘘が吐かれ、その罪が問われる場所】となります

(関係ないですけど、これがいわゆる演繹法ってやつですよね。たぶん)

 また、失楽園ということは、「死への恐怖」が存在する場所ともなります。楽園を追われた人類には死の恐怖がありますから。

 つまり、「黄色の薔薇の花園」は『死』が根差す、もしくは関連する場所でもあるわけです。

 

■ノドの地

神の存在、恩寵の外にあると言われる場所。旧約聖書ではエデンの東の異名をノドの地とする、らしい。エデンの東=ノドの地なのかは素人には判別できない。イギリスの伝説では「凶暴生獣や怪物だけが済む砂漠」として表現されるそうです。

智天使

キリスト教の天使階級においては、神はケルビムの上に座しているとも言われる上位の天使である。一方、ユダヤ教の天使階級においては逆に下から二番目あるいは三番目の下級天使とされる(諸説あり)。』

Wikipediaより引用)

なんかめっちゃえらい天使ってことですかね。

 

黄色の薔薇の花園の意味

 そういったことを鑑みて、先ほどの妄想を読み返してみます。

 

 共同墓地の東の角に存在する、「黄色の薔薇の花園」。

 そこへ待ち合わせの手紙が送られるのが、「4.死神の花束」。

 内容はとても丁寧な文章。イソップと面識があり、久しく会っていない、且つ、丁寧な言葉を使う人物による手紙。

 それとは別に、イソップの母Y.R.の「忠実なる友人エリサ」は、イソップに手紙を届ける約束を、Y.R.本人と交わしていた経緯がある。

 そのエリサは、Y.R.の「目下の立場にある者で、彼女を支持する味方」である可能性がある。

 時系列は分からないが、「6.満開のあと」で、誰かが「我が子」に弁解をしている。〝彼女〟は最初から死ぬつもりだった、と。そこには「黄色の薔薇」が咲いている。

 そして「黄色の薔薇の花園」がある共同墓地には、「花だったり血だったりの色が鮮やかに」みることができると語られている。

 また、黄色の薔薇の花園は、「東の方角」にある。楽園であり、失楽園である。

 つまり、黄色の薔薇が咲く場所での「殺人と嘘」が、総合して仄めかされている。

 そして、「1.学徒」で、イソップはジェイ・カールを「死神」と認識しているかもしれない。 

 母Y.R.は死神の考えを受け入れ、「1.学徒」の結論には「共同墓地の様子」が用いられている。つまり、その死が暗喩されている。死神による死が。

 ──こういった要素を繋ぎ合わせてゆくと、さきほどの妄想もなかなか良く出来ている気がするのですが、いかがでしょうか。

 そんな感じで、次いってみましょう。

 

7.休学期~Suspension Period

 

7.停学期間(一時中止、保留期間)

彼は出発する準備ができている……。

目標:

棺の召喚

終結論:ある日記の内容:

彼は招待状を受け取った。僕はそれを読んでいないけれど、そのシダの封蝋が、僕に「彼は戻ってこない」と、そう思わせた。

 

学校シリーズ

 こちらも、日本語版とそこまで差異などもなさそうな文面です。

 あえて取り上げるならタイトルでしょうか。日本語版では「1.学徒」からこの「7.休学期」「8.最後の授業」「10.卒業」と並べることで、学校を連想させるタイトル、みたいにグループ分けできそうに思われるのですが(学校シリーズと呼んでみます)、どうやらこの「休学期」も中国語原文そのままを充てているようでして、やっぱり日本語訳する仮定でちょっと語弊など生まれているんじゃないかなあと疑ってしまったりします。

 英語では「Suspension Period」と訳されています。「Suspension」は「ぶら下げること、または差し止めること、一時中止、延期、保留」などの意味です。「Period」は「期間、時代、終止符」学校用語で用いるなら、「時限や時間」など。

 一連の熟語として、また、学校用語として用いるときは「停学期間」「免停期間」。

 こう、「なにかを続けていたのに、宙ぶらりんな状態で差し止められている、保留されている、一時中止されている期間や時間」って気配ですね。

 内容を予測するなら、おそらくはジェイ・カールがシダの封蝋のある招待状を受け取ったことで、なんらかの事象が「一時的に延期され」たり「保留」されたりする、そういう時期となる、ということでしょうか。

 ただ、ここでそれだけで納得してはいけない要素がありそうですよね。

 目標が「棺を召喚する」という部分です。

 

 これまで、英和訳を解説・考察するにあたって、この目標とは「誰の」目標か、そのことについて触れずにきました。というのも、これら背景推理の文面とは、それぞれの項目でまるごと「演繹対象」となるので、一貫した「誰か」という主語は存在しないと思われるからです。

 たとえば、「1.学徒」はイソップ視点のものだと推測できますが、本書の考察どおりでゆくなら、「4.死神の花束」はエリサらしき人物の視点だと推察されますし、「3.ステップ」はジェイ・カールの視点と読み解けます。視点が異なれば、誰の「目標」なのかも変わってしまいます。

 そうなると、この「棺の召喚」です。誰の目標か、という話ですよね。

 招待状を受け取った「彼」がジェイ・カールと予測するなら、「僕」とはイソップだと思われます。

 僕は一人称です。つまりは、「7」の視点はイソップとなります。

 そうなれば、この「棺の召喚」は、イソップの目標と考えるのが順当でしょう。

 もし、もしもです。「停学」や「保留」されているのが、「ジェイ・カールからの教え」や「彼の仕事の手伝い」だとしたら。

 なぜ「棺」を用意する必要があるのでしょうか?

 彼の仕事は、彼が「出発」することで、「保留、延期」となるのに。

 イソップは、その棺をなにに使うのでしょうか?

 

8.最後の授業~The Last Lesson

 

8.最後の授業、最後に残った課題、ラストレッスン

この話題、論題、テーマは、思ったよりも複雑でした。

目標:

ハンターを気絶させる

終結論:

とある報告書,レポート

ジェイ・カールは落下による粉砕骨折を含む多数の負傷、鋭利な物体による大量出血、そして打撲による皮下組織の損壊に苦しみ続けた。

 

 前回に続いて「学校シリーズ」のひとつです。ちょっと日本語版とは齟齬多めな気配ですね。

 まずはタイトルですが、こちらはそのままで問題ないと思われます。「Last」は「最後の、最終の」という意味が主ですが、「最後に残った、おしまいの」という風にも訳せます。また、「Lesson」は「授業、教訓、課題、学習内容」など、おおよそ日本で外来語として定着している意味と同じニュアンスかと思われます。中国語原文のタイトルも一応翻訳してみましたが、「Last Lesson」とそのままでした。

 個人的に、ここが難しいなあと思われる点が二箇所。和訳文の「この話題、議題、テーマ」「とある報告、レポート」の部分です。ここには、それぞれ「The topic」「A report」という単語が充てられています。

 日本語版では、「The topic=課題」「A report=レポート」と訳されていました。

 

 一つずついってみます。

 「The topic」ですが、確かに課題とも訳せなくはないですが、中国語原文をチェックすると、「课题」、つまり「課題」となっています。これはたぶん、そのまま同じ漢字なので採用した感を疑った方がいいかもです。「学徒」のときと同じですね。漢字が同じでも、日本語で同じ意味となるかは別、というパターンのやつです。

 中国語の「課題」と日本語での「課題」は、やはりというか、ちょっとニュアンスが違うみたいでした。

 日本語での「課題」は、英語で言う「subject:主題、テーマ、科目」「homework:宿題など」などに訳せます。(もちろんニュアンスに寄っては別の単語になりますが……!)

 対して、中国語の「課題」は、日本語のようにsubjectやhomeworkの意味もありつつ、「Problem:(やっかいな)問題、困難」「topic:話題、論題、テーマ」というものが相当するようです。

 なので、英語版での「The topic」という訳を信じた方が良い、とここでは判断したいと思います。よって、和訳も「話題、論題、テーマ」としました。

 

 次に「A report=レポート」です。これは原文も確認しましたが、「報告」と書いてそのまま「report」と訳せるようでした。単語そのものには、ほかに「speech:スピーチ、presentation:プレゼンテーション、paper:論文、essay:エッセイ、assignment:課題」などの意味があるようでしたが、総合してみるに、「報告書」や、外来語として定着しつつある、あの「レポート」と読み取っていいだろう雰囲気がしています。「書き記して報告などに利用する文書」的なやつですね。

 つまり、書いている人がいるってことですよね。ジェイ・カールの様子を記している人物が。彼が「苦しみ続けた」、その姿を記している人物が。

観察者と反撃者

 この項でのポイントは、「誰の視点なのか」によると思われます。

 登場人物は、ジェイ・カールと、この「A report=とある報告書、レポート」を記している人物です。

 日本語版を読むと、「刃物による」という、「他殺」を伺わせる文面となっていますが、あくまで「sharp object=鋭利な物体」による「大量出血」としか記載はされていませんでしたので(なんとか訳した中国語原文もそのようでした)、他殺かどうかは判断が難しいところかと思われます。

 むしろ、高所からの転落ということなので、その転落先に鋭利な何かがあったのでは、と推測した方がいいかもしれないです。

 なので、登場人物はこの二名となります。

 

 そうなるとです。負傷し、そののち(いつのタイミングかは明確にはできませんが……)恐らく死亡したであろうジェイ・カールを覗けば、残るは「この報告書、レポートを記述している者」しか、この項には残らないことになります。

 そして、一方が死者で、語るべき言葉を持たない者なのであれば、この項で語っている者、つまり一人称視点を持っている者とは、この項の「視点」とは、消去法で「このレポートを記述している者」となります。

 「この報告書、レポートを記述している者」は語っています。「この話題、論題、テーマは、自分が思っていたよりも複雑だった」と。過去形で。

 思っていた、ということは、なにかを想像していたわけです。予想していたわけです。事前に、どうなるか、ということを。その「the topic=話題、議題、テーマ」について、なんらかのことを考えて、予測して、想像していたわけです。

 そうしたら、思っていたよりも複雑だったと零している。

 その「the topic=話題、議題、テーマ」とは、順当に考えるなら、「とある報告書、レポートの内容」のことでしょう。ジェイ・カールが苦しんで死んでいった様子についてを指すと思われます。彼が死んでいくさまは、「この報告書、レポートを記述している者」にとっての「話題、議題、テーマ」だったわけです。

 そして、彼の視点で語られるこの項での目標とは、「ハンターを気絶させる」です。

 

 ここまで、背景推理内で「死神」とはジェイ・カールを指すのでは、と推測してきました。

 そして、「4.死神の花束」で、エリサと思われる人物は、「ハンター=死神」から逃げられなかった、とも考察(という名の妄想)しました。

 もし、ハンターが死神を指すとしたら。

 もし、死神がジェイ・カールを指すとしたら。

 それなら、背景推理内におけるハンターとは、ジェイ・カールを指すのだと、そういう可能性も、決して0ではありませんよね。

 そんな推測を基にして鑑みます。「ハンターを気絶させる」。

 それすなわち、「ジェイ・カールへの反撃、攻撃」とはならないでしょうか。

 先ほど、この項の視点とは「レポートを記述している者」だと推測しました。。

 目標とは、その項での「視点」になる人物の「目標」だとも、前項で推察しました。

 つまり、「ジェイ・カールへの反撃、攻撃」を試みたのは、「このレポートを記述している者」だと読み取ることができます

 反撃、攻撃が何を指しているのか。演繹法ですよね。「ジェイ・カールの高所からの転落」でしょう。彼は、「このレポートを記述している者」によって転落させられた。

 では、「このレポートを記述している者」が誰か、という問題になるわけですが。

 

 タイトルに返ってみましょう。「最後の授業」ですね。

 冒頭で、「学校シリーズ」のひとつですね、と書きました。

 「1.弟子入り」して、「7.停学」して、「8.最後の授業」をして、「10.卒業」をする、学校シリーズ。

 この学校シリーズは、誰の行動か。誰の様子か。

 ご明察です、イソップ・カールです。

 「レポートを記述している者」とは、「ハンターに反撃、攻撃」をしたのは、「ジェイ・カールを高所から転落させた」のは、すなわち「イソップ・カール」だと推測して、この項は終わります。

 

9.メッセンジャー~Messenger

 そろそろ終盤です。伴って、どんどん内容が濃くなっていきますね。妄想も濃厚極まり始めておりますがぜひお付き合いの程まだまだ宜しくお願いします。

 いってみましょう。

 

9.使者

これは自分のためになると信じているし、そして、彼女はまさに使者なのです。(ただ使者であるだけです)

目標:

あなたは棺から蘇る

終結論:

故人が残した所有物(財産)の一覧表、もしくは遺留品リスト

いくつかの雑多なものたちと、そしてOletus荘園からのシダの封蝋の付いた招待状。

 

 ここはかなり議論を呼ぶ項目な気がしています。

 日本語版の訳だけを読むと「イソップが誰かのもの(恐らくは招待状)をちゃっかり自分のものにしました、思い込みました」みたいな解釈も出来ちゃいますし、でもそれって、これまでの流れから見ても、そして個人的な希望としても、イソップらしくないな、というか、違和感があるな、と思えてやまない感じでした。

 なので、がんばって丁寧に追ってみます。いや全部の項目ちゃんと丁寧ですよ。ほんとです。

メッセンジャー

 タイトルは日本語、中国語、英語、すべて「メッセンジャー」でした。中国語原文は「信使」でしたし、直訳すると「messenger」です。

 でも、メッセンジャーって、日本語にすると外来語としての意味が付随してしまって、語弊とか生まれないか心配になってきます。すっかり疑い深くなっている……。

 そんな疑い深い生徒に、ワールドワイドウェブ先生の出番です。

 

【messenger】名詞

使いの者、使者、(電報などの)配達人

(英和・和英辞典weblioより引用)

 

【海外辞書WordSence Dictionalyより抜粋した単語自体の意味】

 

伝言、メッセージを運ぶ者。

(航海において)船の甲板から桟橋まで、より重い線を引っ張るための軽い線のこと。

電力、電話、データなどの空中ケーブルの支持部材。

(法的において) 破産者や支払不能者の財産を管理するなど、破産法や支払不能法の下で特定の省令を実行するために任命された人。

 後半はたぶんちょっと意味が違いますし要らなかった感じですが、あれです、またひとつ賢くなったってことで。(むろん私が)

 難しいですが、単なる「手紙や品物を運ぶ人」とも受け取れそうな気配がしてます。

 と、ここでもう一度中国語の「信使」を調べてみました。

 

【信使】中国語,名詞

1.courier、messenger

2.(biochemistry) messenger (molecule)

 

(海外辞書WordSence Dictionalyより引用)

 

ここでmessengerのほかに「courier」という単語が出てきました。

どういう単語かというと。

 

【courier】名詞

1.急使,特使

2.(英)(団体旅行の)添乗員,案内人,ガイド

 

(Eゲイト英和辞典より引用)

 

 どうやら「使者」寄りの単語のようです。(まさか「彼女」が添乗員だったってオチはなさそうなので、1の意味を採用します)

 急使とはそのまま「急ぎの使い」のことであり、特使とは「特別の任務をゆだねて遣わされる使者」のことを指します。もう使者って言ってますな。

 総合して、本書では、この「messenger」とは「任務や使命を伝えるべく遣わされた使者」を指す、としたいと思います。

 よって、この項目のタイトルは「使者」で、そして、「イソップは別に誰かの何かをパクってないし、それを自分のものだとも思い込んでいない」説でいきたいと思います。改めて書くと字面がひどい。

 日本語版では、「これは僕に渡されたものだ。」とイソップらしき人物は文章内で断言しています。

 対して、英語版です。同様の箇所はこう記されています。

 

I believe it’s for me,」

 

 だ、断言してない……!

 直訳すると「これは自分のためになると信じている」もしくは「自分のためだと思っています」になります。原文も「我想这是给我的」で、(できる限り単語ごとに訳してみた結果)「これは自分のためだと思っています」となります。「これ」が何を指すのかはこの文章中では明らかになりませんし、何かを渡された、とも特に書かれていません。

 とりあえず次です。

 「彼女は、ただの受け渡し人に過ぎない。」の部分。「She’s just the messenger.」となっていました。「just」は副詞で「ちょうど、たった今」「まさに、まさしく」などの意味となります。原文でのその部分は「只是」となっていましたが、「只是」には、「just」のほか「only, merely」などの意味があるようです。

 「only, merely」ですが、共に「ただ~だけ」といった意味となります。

 これらを念頭に先ほどの英文を鑑みるに、彼女は「まさに使者」であり「ただ使者であるだけ」という感じに読み取れますね。

 他の何者でもなく、ただ「任務や使命を伝えるべく遣わされた使者」で、「そういった使いの者」だった。ただ、それだけ。

 まとめます。

 

「僕は、〝これ〟が僕のためになると信じているし、そう思っている」

「そして彼女とは、ほかの何者でもなく、ただ任務や使命を伝えるべく遣わされた使者なのだ」

 

 「これ」が何を指すのか。使者である「彼女」とは誰なのか。

 使者として、彼女はなにを「僕」にもたらしたのか。

 もたらしたものが、「僕」の言う「これ」にあたるのか。

遺留品リストと招待状

 疑問は深まるばかりですが、続いて次の文面です。

「遺物リスト」ですね。「A list of items」とされていました。あれ、itemsって遺物ではなくない……? と目が点になりました。原文に戻ってみます。

 中国語原文では「一份遗物清单」となっています。「遗物」は「遺物」となります。もちろん、やっぱりというか、日本語での遺物とは少しニュアンスが違うようでした。

 中国語での「遺物」は「possessions left behind by the deceased:故人が遺した所有物(特に財産)」という意味のようでした。(海外辞書WordSence Dictionalyより引用)

 そこに「清单」、英語でいう「list」が続きます。つまり「list:一覧表、リスト」ですので、「故人が遺した所有物(財産)の一覧表、リスト」となります。

 なんというか、いちばん適した日本語としては「遺留品」が当てはまるのではないかなあ、という気がしています。

 遺留品とは「死後に残した品物。遺品。」のことを言います。遺物というと、遺跡、古代の先人から残された何か、など、そういう意味合いも含まれちゃいますので、あえて遺留品としてみます。

 よって、本書での訳は「故人が残した所有物(財産)の一覧表」もしくは「遺留品リスト」としたいと思います。

 

■遺物

『過去の人類が残した土器や石器などの動産的なもの(動かすことのできるもの)の総称である。遺物には人工遺物と自然的遺物がある。さまざまな道具や装飾品のうち、過去より伝わり、現在は使われなくなったもの。』

Wikipediaより引用)

■封蝋

『(ふうろう、シーリングワックス、英: Sealing wax)とは、ヨーロッパにおいて、手紙の封筒や文書に封印を施したり、主に瓶などの容器を密封したりするために用いる蝋である。』

『手紙や文書の場合は、この上に印璽(シール)で刻印することで、中身が手つかずである証明を兼ねる。』

Wikipediaより引用)

 

 

 その「リスト」に載っているものですが、こちらは「a few items:いくつかの項目、品物」「an invitation letter . Fern wax from Oletus Manor:シダの封蝋の付いたOletus荘園からの招待状」の2つとされています。

 「item」は「物、品物、商品、品」のほか、「(表・目録・データなどの)項目、品目、条項、細目」や「(うわさ・ニュースなどの)ねた、種」などの意味があります。

 日本語版では「items=日用品たち」とされていますが、原文では「杂物」という単語が充てられており、英語の「odds and ends=(慣用句で)雑多なもの」に相当します。

 なので、ここでは「遺留品としてリストに載ってはいるが、取り立てて意味などは見出せない、故人の雑多な持ち物たち、その項目」といった意味として捉えるのがベストかなあ、と考えています。

 そして、それらに反して、視点や主語である「僕」、恐らくはイソップにとって「意味ある持ち物」として挙げられているのが「シダの封蠟の付いた、Oletus荘園からの招待状」です。

 え? Oletus荘園? エウリュディケ荘園ではなく? ……って思いますよね。私もびっくりしました。

 そして更にびっくり。なんとoletusはフィンランド語だったりしました。

 

【oletus】フィンランド

他動詞olettaa(=想定する、仮定する、前提とする)から派生した名詞

=assumption、supposition

 

【assumption】名詞

(証拠もなく)事実だと考えること、決めてかかること、仮定、憶説、仮説

 

【supposition】名詞

仮定、推定、推測、仮説

 

(英和・和英辞典Weblio、海外辞書サイトWordSense Dictionalyより)

 

 どうやらフィンランド語で「仮定、想定、仮説」などに当たるようです。

 「エウリュディケ」という名称がどこへ行ったのか本気で謎でしたが、海外ウィキでのコメントで

 

「It seems to have originally been named "Eurydice Manor." Sometimes it is called "Orpheus Manor" or mistranslated as "Olive Manor.」

「和訳:もともとは〝エウリュディケ荘園〟と名付けられていたようです。〝オルフェウス荘園〟と呼ばれることもあれば、〝オリーブ荘園〟と誤訳されることもあります。」

 

(引用:https://id5.fandom.com/wiki/Oletus_Manorより)

 

といったものがありましたので、なにやら向こう側でも戸惑われているようでした。お互い苦労してるのね……。

 よって、【Oletus荘園とは、エウリュディケ荘園の誤訳】である、と見てよいのだと思われますが、それでも「仮定の、仮説の荘園」、ひいては「この世に存在すると仮定された、存在しない場所としての荘園」とは、また素敵なネーミングセンスな気もします。

 少し脱線しましたが、ここまでがざっくり且つ丁寧に追った和訳となります。

 誰の遺留品?

 色々と訳するに当たって難しい部分が多く、それゆえに議論の幅が広がりそうな、解釈も様々となってしまうだろう項目になるわけですが……、とりあえず、「彼女がメッセンジャー=使者」であるのは「イソップになにか物質的なものを届けるから」ではない、ということは読み取れるんじゃないか、と思われます。

 彼女は「任務や使命を伝えるべく遣わされた」使者であり、運ぶのは物質的ななにかに依らないし限定されない、と思われるからです。

 では、その使者たる彼女とは誰で、イソップにもたらされ、イソップが「これは自分のためになると信じている」「物質的でない何か」とはなにか。

 そして遺留品とは、つまりは誰が遺したものなのか。

 まず遺留品リストについて。

 遺留品ということは、当然、亡くなった方がいるわけです。そして、本項での登場人物は「視点となる、主語となる人物=僕=恐らくはイソップ」と「彼女」、そして件の「亡くなった誰か」の三名となります。

 イソップの背景推理内で亡くなっているのは、これまでで三名と推測できています。

 「イソップの母Y.R.」「エリサ(と思わしき人物)=手紙の差出人」「ジェイ・カール」です。この三名のうち、「彼女」ひいては女性は二人。しかし、「僕」がイソップだとしたら、実母のことを彼女と呼称するかは疑問ですので、消去法で「エリサ(と思わしき人物)」の一択と思われます。

 それにより、

 

①亡くなった誰か=彼女=エリサ

②亡くなった誰か=not彼女=ジェイ・カール

 

 という二通りの説が思い浮かべられると思います。

 つまり三人の登場人物のうち、「彼女」と「亡くなった誰か」がイコールなのであれば、この遺留品リストとはエリサの持ち物のことを指しますし、もし「彼女」と「亡くなった誰か」がイコールでないならば、「8」で亡くなることを示唆されているジェイ・カールの遺留品リストということになるかな、と想像できるわけです。

 しかしながら、現時点では「これが誰の遺留品リストなのか」までは確定が難しそうです。

 もし、背景推理の時系列が順序通りに整っているなら、「8.最後の授業」からの流れとして、この遺留品の持ち主、つまりは亡くなった誰かとはジェイ・カールとなります。

 でも、すでに時系列は前後していると予測されているので、これは確定とはできません。逆に、同様の理由で、亡くなっている誰か=エリサとも断定し難いです。

 なので、前述の①②どちらが正しいのかは定かではなく、どちらもありうる、としか考察できなさそうです。無念……。

 でも、別の視点から妄想を展開していくことはできそうです。

使者のもたらしたもの、ジェイへの疑心

 この項での「視点」は「僕」であり、恐らくはイソップの一人称と思われます。なぜなら、現時点で生存している確率が高いのはイソップだけだからです。主要登場人物、だいたい死んでってる。

 そしてここで今更ながら触れるのが、演繹目標が「棺から蘇る、復活する」という点です。

 総合すると、この「9.メッセンジャー」とは、イソップの視点であり、そして彼の目標とは「棺から蘇る、復活する」となります。

 この「棺から蘇る、復活する」ですが、英語では「You are resurrected from the coffin.」と書かれています。

 「resurrect」は「復活させる、復興する」、神学では「死者を生き返らせる」という意味があります。直訳すると「あなたは棺から生き返らせられる」となります。「自ら生き返る」のではなく、「生き返らせられる」、【受け身】の状態として書かれています。

 それらから、イソップは「死んでいる状態から、なんらかの存在によって生き返らせられる」ことを目標としている、と読み取れます。

 言い換えれば、それは「なんらかの存在によって〝生まれ変わる〟」ことを目標としているのでは、とも感じ取れます。

 なんらかの存在として浮かぶのは「彼女=使者」の存在です。「彼女」はイソップに「任務や使命といった、物質的でない何か」をもたらしたと考えられます。そして、背景推理とは演繹法なので、同項に存在する、イソップが「"これ〟は自分のためになると信じている」の「これ」こそが、彼女がもたらしたものなのでは、とここで推測してみます。

 それが何かは分からないけれど、イソップにとってそれは「自分のためになると信じている」し、「生まれ変わるという目標を達成する」もののようです。

 

 少しずれて、この項での「彼女」とは、消去法から「エリサ」だと仮定してみます。

 エリサが「彼女」で「使者」だとして、彼女がもたらした物質的な何かでない、「使命、任務」とはなにか、考えてみました。

 結論として、それは【ジェイ・カールによるエリサの殺害】という〝出来事〟ではないだろうか、という考えに達しました。

 エリサが手紙の差出人だったとして、そして「使者である彼女」だったとして、その上で、イソップにもたらされるものがあるとしたら、①預かっていた【母Y.R.の手紙】という〝物質的〟なそれか、②【ジェイ・カールによるエリサの殺害】という〝出来事〟か、その二択しか浮かびません。

 そして、使者としてのエリサがイソップに「物質的な何か〝ではないもの〟をもたらした」とするなら、消去法で、それは【ジェイ・カールによるエリサの殺害】とならざるを得ません。

 

 ジェイ・カールによるエリサの殺害。「6.満開のあと」の内容ですね。

そこで、イソップには「ゲートへの脱出」という目標がたてられていました。

 出口への逃亡。ここではない場所への逃走。

 

 ──なんというか、これって、イソップによるジェイへの「疑心」と受け取れないでしょうか。

 

 母の「忠実なる友人」が、自分に会いたいと手紙をくれた。

 けれど、着いた先で、彼女は死んでいた。

 ジェイは「手伝っただけ」だと弁解している。

 けれど、自分に用があると、会いたいと言って手紙を出したひとが、約束の前に「わざと

死ぬ」など、あり得ることだろうか?

 

 前述しましたが、イソップは、恐らくは同じ「自閉症」でも「アスペルガー症候群」だと本書では推測しています。「アスペルガー症候群」には知的障害などはなく、知能発達や言語の遅れなどもありません。また、その特質の発現度合いも、大きく個人差があります。むしろ、興味の向く分野には凄まじい集中力を発揮することの多い、そういった特質の人たちです。

 そんな特質を持つイソップです。「ジェイの言動の矛盾」も、きちんと正しく理解していたと思われます。

 「彼は嘘を吐いているし、おかしなことを言っている」と。

 

 【ジェイ・カールによるエリサの殺害】。

 それが、エリサが使者としてイソップにもたらしたものだとして。

 それは、イソップにとって【ジェイという信じるものへの疑心を抱くきっかけ】と言い換えることができないでしょうか。

 エリサとは、イソップに「信じているものへ疑いを持つ」きっかけを与える、そういう「使者」だったのではないでしょうか。

UR衣装「エクソシスト」 ──信仰を疑え

 突然ですが、ここでイソップに今現在実装されている「衣装」について触れたいと思います。

 第五人格というゲーム作品には、キャラクター各自にいくつかの「衣装」が実装されていますが、イソップもまた例外ではありません。

そんな彼の衣装のひとつに「エクソシスト」というものがあります。レア度URの超レア衣装です。ちなみに筆者は持っていないです。つら……。

そのUR衣装「エクソシスト」ですが、実は背景推理のほか、衣装にも考察の鍵があるようでしたので、英和訳、がんばってみました。

細かな単語のニュアンスなどはページの関係で省きますが、おおよその訳を載せてみます。

 

UR衣装【エクソシスト

「疑うということは、

昨日までの信仰、信頼や信用を破壊することに繋がる。

だがしかし、

明日からの信念、信条への道を切り開くこともまた出来るのである」

 

 これはつまり、「疑え」と言っているのだと、そう諭しているのだということが伝わってきます。

 イソップにとっての「信仰」とは、ジェイの説く、教示する様々なことでしょう。〝納棺〟もまたそのひとつのはずです。そして、「信頼」を寄せ「信用」していた対象が誰かといえば、それもまた、ジェイという人間だったはずです。

 要するに、UR衣装「エクソシスト」のテキストは「ジェイを疑え」と諭しているのです。

 それが、「明日に続く新たな信念、その道を切り開く」のだと。

 ジェイという男を疑えと、それが正しいのだと、そう示唆していると読み取れるのです。

招待状は誰の手に

 そんな感じで、イソップがジェイへの疑心を抱いた、そういうきっかけをもたらされた、その示唆は衣装からも窺い知ることができる、と読み解けました。

 

そしてまた、ここで話は少し戻ります。演繹目標です。

 少し前で、イソップは「使者からもたらされるもの」を「自分のためになると信じている」し、「生まれ変わるという目標を達成する」ものだと認識している、という推察をたてました。

 そして、使者とはエリサであり、もたらされたものとは「ジェイへの疑心=信じるものを疑うこと」だと仮定してみました。

 まとめます。

 

 エリサはイソップにとって「使者」であり、そして、イソップに「ジェイへの疑心、信じるものを疑うこと」をもたらした。そういうきっかけを与えた。

 そして、使者のもたらしたもの(=ジェイへの疑心)は、演繹目標である「(イソップが)生まれ変わるという目標」に深く関係する。もしくは、必要な要素である。

 

 生まれ変わるとは、新たな生き方をすること、とも読み取れます。

 それは自分のためになると、そう信じていると、イソップは語っています。

 そして彼女とは、〝それ〟に至るまでのただの使者に過ぎなかったのだとも語っています。

 

 ここで、まだ触れることが出来ずにいた「エウリュディケ荘園からの招待状」についてですが。

 背景推理を追ってきたなかで、招待状が登場したのは「7.休学期」のみです。

 そしてそれを受け取ったのは、イソップではなく「ジェイ・カール」ただ一人です。

 また、背景推理は時系列が前後している可能性があり、順当に並んでいるのは「学校シリーズ」くらいだと思われます。

 その学校シリーズのひとつ、「7.休学期」のあとに、「8.最後の授業」で、イソップによるジェイ・カールへの反撃、攻撃があったと妄想しました。

 ジェイは、「8.最後の授業」で、その後に亡くなることが示唆されている、とも考察しました。そして、それをイソップが「レポートに記述をしている」とも。

 

 ここで立ち返ってみましょう。「ジェイ・カールの受け取った招待状の行方」についてです。

 ジェイは、本当に荘園へ赴いたのでしょうか?

 招待状を携えた彼は、荘園へと辿り着いたのでしょうか?

 その招待状は、「8.最後の授業」のとき、どこにあったのでしょうか?

 使者である「彼女」が「エリサ」で、亡くなっている誰かが「母Y.R.」と「ジェイ・カール」しか残っていないとして、

 この「9.メッセンジャー」で「遺留品」を遺した故人とは、誰のこととなるのでしょうか。

 この遺留品リストを記したのは、眺めているのは、招待状の存在を確認しているのは。

 そうですよね、イソップしかいませんよね。

 この「シダの封蠟の付いた、エウリュディケ荘園からの招待状」とは、ジェイ・カールが受け取ったものだと妄想して、本項は終わりにします。

 

10.卒業~graduation

 雰囲気も考察(妄想)も不穏さ絶好調。そして「学校シリーズ」最後の項目です。いってみましょう。

 

10.卒業式

棺の中の彼の顔は、厳粛な、そして心穏やかなものだ。

彼はきっと、僕の答え(解答、解決策)に満足し、納得してくれるでしょう。

目標:

仲間をエンバーミングする

終結論:とある日記

私は、彼の静脈のなかを流麗に流れゆく臭化物の揺れを、そのうねりを感じ取ることができます。

私は彼となり、そして彼は、彼自身が見下し、嫌悪し、軽蔑するものへ成る(変貌する)のだと、私は知っています。

 

 この項目の日本語訳に困っているイソップ好きさんってめちゃくちゃ多いんじゃないかなあ、と思いながら和訳しました。なんといっても日記の内容です。日本語版での『私は彼になるのだと分かったが、彼は自分が嫌な様子になるんだ。』の部分です。どう読んでも日本語じゃなさすぎる……。

誤訳と、分かたれたイソップ

 該当部分は、英語版では「I know I will become him, and he will become what he himself would despise.」となっています。直訳で「私は自分が彼になり、彼は彼自身が軽蔑するものになることを知っています」となります。(中国語原文も同様の訳になりました)

 「despise」には「軽蔑する、蔑む、見下す、侮る、嫌悪する」などの意味があります。「彼=ジェイ」は、自分が軽蔑したり、見下したりしていたものへと、自分自身が「成ってしまう」、言い換えれば「変貌してしまう」「落ちてしまう」のだと、そう、イソップ(と思われる人間)は語っているようです。

 ──語っているのですが、ここで謎がひとつ。

 この項目では、なぜか「僕」と「私」の二通りの一人称が用いられています。日本語版をそのまま信じるなら、つまりは、前半と後半で「二人」、語り部がいるということになります。

 全体を通して、イソップと思しき人物の一人称は「僕」で一貫されてきましたが、ここで「私」と語る「イソップ」が現れるのです。

 そして、そのことを加味した上で、この項での登場人物は、「臭化物」を打たれただろう「彼」を含めれば、【三人】となります。

 「いやイソップはイソップでしょ? ジェイとイソップの二人でアンサーじゃないの?」

 そう思われますよね。そう読み解くのが順当だと思います。

 実は本書では、イソップはこの時点で、ここを【ターニングポイント】として、【二通りのイソップに別れたのではないか】と考察(妄想)しています。

 「僕」であるイソップと、「私」であるイソップ。

 イソップとは、いわゆる「解離」している青年なのではないか、と。

解離 ──心を守るために

 人間の深層心理とは奥深いもので、自身を守るための防衛策として、その脳内で様々な手段を用いることが明らかとなっています。

 身近な例として、ひとは「忘れる」ことができます。ひどく心が傷ついたときなどには、その心を傷つける対象、出来事などを「忘れる」ことで自身の心を守ったりします。嫌な出来事は忘れるに限る、って言いますよね。

 その心を傷つける対象とは本当に様々で、事故体験、身体的あるいは精神的虐待、戦争の記憶、愛する人の喪失など、多岐にわたります。その人にとって「生きてゆくことが困難なほど、自分を傷つけるもの」であれば、それは「忘却するべきもの」となるのです。

 そういった防衛策のひとつとして、「解離」というものが存在します。

 

【解離】

解離とは、記憶・知覚・意識といった通常は連続してもつべき精神機能が途切れている状態で、軽いものでは読書にふけっていて他人からの呼びかけに気付かないことなどが当てはまります。

この解離が、非常に大きな苦痛に見舞われたときに起ることがあり、実際に痛みを感じなくなったり、苦痛を受けた記憶そのものが無くなることがあります。

これは、苦痛によって精神が壊れてしまわないように防御するために、痛みの知覚や記憶を自我から切り離すことを無意識に行っていると考えられています。

 

(引用:『厚生労働省 e-ヘルスネット』ホームページより)

 

 読んでいるだけで辛いですが……。

 この「解離」という防衛策をとり、自分の心を守ったのが、イソップという青年だったのではないか、と本書では考えています。

 解離に関連した症状には、様々なものが存在します。忘れるために記憶障害などを引き起こす「解離性健忘症」や、自分を守るために、自分の中に別の人格を生み出す「解離性同一症」などがそれにあたります。

 イソップは、その特質がゆえに「言葉の裏を読む」「比喩を理解する」といった高度な読解が苦手だと推察されます。そのために学校の退学も経験しました。

 そんな特質を持つ彼に、黄色の薔薇の花園でジェイは語ります。「彼女はわざと死のうとしていた」と。

 しかし、「エデンの東」の考察からも、それは「嘘」であると推察されます。イソップにも恐らくは分かっていたはずです。ジェイが彼女を殺したのだと。

 でも、イソップにとってジェイは養父です。「納棺師」として「さまよう人を救う」立派な人なのです。信じるべき相手で、そして、両親もない自分にとって、社会で生きてゆくには色々と困難のある自分にとっての、唯一の寄る辺なのです。

 そんな人が、母が「忠実なる友人」と称する仲の女性を殺したら?

 「自分が殺したのではない」と、嘘を吐いたら?

 

■解離性健忘症

『解離性健忘は解離症の一種で,通常のもの忘れでは一般的に失われることのない重要な個人的情報を想起できなくなる病態である。』

(MSD マニュアルプロフェッショナル版より引用)

■解離性同一症

『解離性同一症とは、かつて多重人格障害と呼ばれた神経症で、子ども時代に適応能力を遥かに超えた激しい苦痛や体験(児童虐待の場合が多い)による心的外傷(トラウマ)などによって一人の人間の中に全く別の人格(自我同一性)が複数存在するようになることをさします。』

(e-ヘルスネットより引用)

 

母からの手紙

 「嘘だ」と理解するだけなら、あるいは容易いかもしれません。ジェイにも事情があったのかと、イソップも、彼を信じ続けることを選ぶかもしれません。

 ところがです。

 ここで浮かぶのが「エリサがイソップを呼び出した理由」です。

 そもそも「4.死神の花束」でエリサと思しき「彼女」がイソップに手紙を宛てたのも、なんらかの用事があったからです。なにかイソップに用があり、黄色の薔薇の花園へと呼び出したわけですから。

 いったいなぜ、エリサはイソップを呼び出したのか。

 母が眠るだろう共同墓地の東、黄色の薔薇の花園に。

 

 ここでキーとして浮上するのが、「母Y.R.からの手紙」と「イソップの年齢」です。

 イソップは【イギリス出身】と推察しました。

 また、2020年誕生日タスクにて明かされた「母Y.R.からの手紙」の内容は、【イソップの誕生日を祝うもの】でした。

 イギリスでは、伝統的な成人年齢は【二十一歳】とされています。現在は年齢の引き下げが行われていますが、今でも二十一歳の誕生日を大々的に祝うそうです。

 荘園に訪れた時点で、【イソップは二十一歳】です。

 そして、イソップが荘園を訪れる動機とは、【不幸にも亡くなった実の母親の手紙】です。

 

 もしかしたらです。

 イソップに「成人となる誕生日を祝う手紙」を、死ぬ前に、Y.R.が書いていたとして。

 自分の死後、その手紙が、イソップが「二十一歳を迎えるころ」に届けてもらえるよう、最も信頼のおける友人、エリサに託していたとしたら。

 エリサが黄色の薔薇の花園に呼び出したのは、Y.R.からの手紙を届けるためだとしたら。

 横たわるエリサの遺体のすぐそこに、手紙があったとして、

 それを、イソップが見つけて読んでいたとしたら。

 その内容が、彼に「荘園へ赴くこと」を選ばせたとしたら。

 

■イギリスの成人

1969年に21歳から18歳に成人年齢が引き下げられましたが、いまでも伝統的な成人年齢である21歳の誕生日も含めて計2回、イギリスでは盛大にその人の成人をお祝いするそうです。

 

2020年誕生日の手紙

2020年誕生日の手紙の英和訳も、ここでざっくりと全文を載せたいと思います。

 

【2020年誕生日の手紙 ──「過去からの手紙」】

 

親愛なるイソップへ。

 

この手紙を受け取ったとき、あなたは困惑するに違いないでしょう。

私は、この手紙を届けてくれた、私の最も忠実で忠誠なる友人であり、助けであり、味方であるエリサに、本当に感謝しています。

 

あなたは現在、どんな人なのかしら。

私の記憶のなかでのあなたは、優しくて慈悲深い、穏やかで静かな、温和な子どもです。

 

あなたが、あなたのお父様のような、皆に好かれる紳士に成長することを、私はよく夢に描き続けていたものです。

その夢は私に、どんな苦痛も、苦難も、最後まで持ちこたえることができると、耐え忍ぶことができると、そう思わせてくれましたし、

だから、とても美しい夢でした。

でも……。

 

幸運なことに、カールさんがあなたを育てるのに役立ってくれました。

もしかしたら、そのことが、私の罪を和らげてくれるかもしれません。

 

彼(カールさん)は、口数の少ない、人とちがった奇妙な性質をもった人かもしれませんが、どうか、彼が善良な人だと、立派な人だと、そう期待して、確信して下さい。

 

結局、最終的には、彼は私を助けるのに役立ちましたし、

そのために、私の衰弱した、バランスを崩した精神は、安心と安堵と、慰めを見つけることが出来たのです。

 

分かっています。説得力のない、根拠に乏しい主張だと。

しかし、私のあなたへの愛だけは、どうか疑わないでください。

私は全力を尽くしたと、ベストを尽くして頑張ったと、どうか信じて下さい。

 

私が(直接)自分で、あなたに伝える機会があればよかったのに。

 

〝お誕生日おめでとう。愛しい我が子よ。〟

 

そして……、どうか、お許しください。

 

あなたに幸多からんことを。

臆病者の母親より。

Y.R.

 

母の愛、本当のこと

 遺書ともいえる手紙の中で、Y.R.は語りかけます。

 どんな苦難も、イソップが、彼の父のような、皆に好かれる紳士になる未来を夢描くことで、耐えることが出来たと。

 イソップという、愛する息子の存在が、自分の生きる支えだったのだと。

 そして、ジェイ・カールを「善良な、立派な人だと期待し、確信しなさい」と。

 その箇所には「trust that」と充てられており、「~ということを確信する、期待する」と訳せるようになっています。Trust には「信用する」などの意味がありますが、しかし、日本語版のように「いい人ですよ」と断言するわけではないようです。中国語原文も「但请相信我,他是一个好人。」と書かれており、「でも、どうか私の(言うことを)信じて下さい。彼はいい人なのだと(私がそう言っているのだから、そうなのだと信じて下さい)」と訳せるようになっていました。(もちろん素人訳ですが……。)

 なんだか、これはでまるで、そうだと信じられなくても「そう期待しなさい」と諭し、説得しているように感じられないでしょうか。

 もし本当に「いい人」だと自信を持って断言できるのなら、わざわざこのような言い回しをするものでしょうか。ジェイが気難しそうな、少し難解な性格だと知っているから、イソップが不安に思わないようにと、そう気遣っているだけなのでしょうか?

 それとも。

 「そうだと信じきれば、あなたは守ってもらえる、生きてゆけるから」と、イソップのことを案じるがあまりの、諭す言葉だったのだとしたら?

 

 この文面から察するに、Y.R.は〝死ぬ前に〟イソップを「カール家」へと養子に出しています。そして、自分がイソップの成人する頃には存命ではないことを、あるいは、これから死ぬだろうことを察しているような、確信しているようでもあります。

 死にゆく自分と、遺される息子。愛する人の、愛しい忘れ形見。

 Y.R.が自分の死を確信していたとして、退学まで経験しているイソップが、これから自分のいない世界で、社会で、どうすれば健やかに生き延びてゆくことが出来るのか。彼女は必死に考えていたのではないでしょうか。

 そして、その答えが【死神(の考えを)受け入れる】だったとしたら。

 

 背景推理「1.学徒」で、本書ではこう和訳しました。

 『僕の母が死神(の考えを)受け入れたその日、僕は彼の弟子となることを決心した』

 これは言い換えれば、Y.R.が死神=ジェイの「考えや主張=説得」を「受け入れた」おかげで、イソップは「イソップ・カール」となった、カール家へ養子に迎えられた、という風に受け取ることも出来ます。

 ジェイという人間にまつわる「説得」といえば、それすなわち〝納棺〟です。

 更に言い換えれば、「Y.R.は、ジェイに納棺されることを条件に、イソップを養子として迎えることを約束させた」とも読み取ることが出来ます。

 突飛な発想に聞こえるかもしれませんが、それならば「Y.R.が自分の死を確信している」ことに説明がつきますし、手紙をエリサに託した理由も分かります。

 愛しているからこそ、生き延びて欲しいからこそ、自らの命を交換条件に、息子のために死を受け入れた。

 生き延び続けて欲しいから、「ジェイという人間を善良な者だと信じきって」と、手紙にも書き残した。疑わなければ、ジェイの庇護下で生きてゆけるから。

 成人する息子へ手紙を書き残す人なのです。その愛は、この文面からも、深く、疑いようのないものだと察してやみません。

 

 遺してゆく息子に宛てられた、母の愛で形作られた、成人という晴れの日を、誕生日を祝う手紙。

 そんな手紙を運んでくれたエリサと、そのエリサを殺害しただろうジェイ。

 そして、「彼女は死のうとしていた」と嘯かれた言葉。

 イソップがもし、亡きエリサの持ち物から、この手紙を「見つけて」読んだとしたら、

 もしかしたら彼は、ここで〝初めて〟気が付いてしまったのではないでしょうか。

 「ジェイが母Y.R.を〝納棺〟した」本当の意味を、

 そして〝納棺〟という行為が「殺人」と同義であったのだと。

信じる世界の瓦解

 イソップはアスペルガー症候群に該当するのでは、と推察しました。

 そして、彼らには「言葉の裏を読み合う」「比喩を理解する」ことが不得手である、などの特質があるとも述べました。

 そういった特質には、「冗談や嘘が通じず、言葉を額面通りに受け取ってしまう」という意味合いも含まれます。発せられた言葉の裏に在る真意を汲み取るのではなく、発せられた言葉を、そのままの形と意味で受け取るのです。まっすぐに。

 イソップは、ジェイの元で彼の手伝いをしていましたが、(夢の中でしたが、2021年誕生日タスクでもそういった描写がありますね)どこまでの説明を受けて、そしてどこまでを手伝っていたのかは定かではありません。

 しかし、ジェイが「さまよう人を導く手助けをしていた」ことは理解していました。そのことを肯定もしています。(背景推理「11.約束に赴く」にてまた考察します)

 つまりイソップは、ジェイが行う〝納棺〟の存在を知っていましたし、それは「さまよう人という名の、救済を求める人々を救う正しい行い」だったと認識していたことが分かっています。

 けれど、ご存じの通り、〝納棺〟とはジェイ・カールという人間が行っていた、違法な殺人です。犯罪です。

 「言葉をそのままの形で受け取る」イソップにとって、〝納棺〟とは救済であり、そして、ジェイという人間は、きっと「困っている人を救済する立派な人」だったのでしょう。ジェイの言葉を信じている限りは、それが、イソップにとっての真実だったはずです。

 けれど、黄色の薔薇の花園で、彼は手紙を「見つけ」ます。

 もしイソップが、「使者であるエリサのもたらした、ジェイへの不信、不審」と共に、あらゆる「本当の真実」に気が付いてしまったとして、

 それは、自分の生きてきた世界が、信じていた世界の形が、音を立てて崩れる瞬間となるのではないでしょうか。

 

 母Y.R.は手紙の中で語り掛けます。「父のような、皆から好かれる紳士に成長することを夢見ていた」と。「イソップは優しくて慈悲深い、穏やかで静かな、温和な子だ」と。

 もしイソップが、「おくりびと」としての職務以外に、ジェイの〝納棺〟という行為そのものを手伝っていたとしたら。

 もしそうであれば、イソップは殺人の片棒を担いでいたことになります。犯罪の手伝いをしていた共犯者になります。

 母の夢見た「父のような紳士」とは程遠い存在で、「優しい子」でもなくなるかもしれません。

 それらのことは、ひいては、母の最期の言葉を知った瞬間に、彼女の最期の夢を、願いを、イソップという青年は、すでに叶えることができなくなっていたと、そういうことを意味してしまいます。

 

 信じていた義父の嘘。

 母の死の真相。

 彼女の最期の願いを、自分はもう、叶えることが出来ないという現実。

 

 様々な生きづらさを抱えていただろう青年が、これほどの精神的苦痛と矛盾とを受けた先に、果たしてどういった状態となってしまうのか。

 それこそが、先ほど触れた「解離」という、心の防衛手段とへ繋がってしまうのではないか、と考察します。

時系列の整理

 だいぶ逸れてしまいまいたが、和訳へ戻りつつ、色々と立ち返ってみます。

 

 この「10.卒業」とは、本書でいう「学校シリーズ」のひとつで、そして最後の項目になります。弟子入りして、休学を迎えて、最後の授業をして、そして卒業したのです。「誰が」といえば、それはイソップのことだとも考察しました。イソップ視点の、イソップが主語の「学校シリーズ」。

 そして、イソップの背景推理は時系列が順当ではない可能性があるが、「学校シリーズ」だけは時系列そのままに載っている、という可能性も指摘しました。

 そうなると、この「10.卒業」は「8.最後の授業」のあとに起こった出来事となります。では、その「8」でなにが起こったか。「イソップによる、ジェイ・カールへの反撃、攻撃」があったと推察していましたね。

 「攻撃」のあとに、「臭化物」が投与されているらしき「彼」。もうそのまま「イソップによるジェイ・カールの納棺」の構図です。

 「あれ? 『9.メッセンジャー』でジェイは死んでる風に書いてなかった? でも『10.卒業』で納棺するなら、ジェイはまだ生きてるんじゃない?」って感じですよね。どういうこと?

 恐らくは、「学校シリーズ」そのものは時系列順でも、間に挟まる項目自体は前後しているのだと思われます。

 

「8.最後の授業(イソップのジェイへの攻撃)」

「10.卒業(イソップによるジェイの納棺=殺害)」

「9.メッセンジャー(【ジェイによるエリサの殺害】をきっかけと捉えるイソップと、誰かの遺留品、その中に存在する招待状)」

 

 簡単に番号で示すとこんな感じでしょうか。

 たぶんもうお察しのことと思われますが、この流れであるなら「9.メッセンジャー」の「遺留品リスト」とは「ジェイ・カール」のそれだったのでは、と推察できますし、その方向で確定もできちゃうのでは、と読み取れます。

 そして、重要なのは、イソップは「【ジェイによるエリサの殺害】をきっかけと捉えている」こと。それがあったからこそ、自分は「最後の授業」をこなし「卒業」へと至った。ジェイを納棺する道を選んだ。「これは自分のためになると信じている」と語った。

 

 エリサ殺害により、ジェイへの疑念が生まれた。

 それはイソップに「なんらかのもの」をもたらした。

 イソップはそれで良かったのだと語っている。

 

 考えてみれば、おかしいのです。

 「彼が、彼自身が嫌っているものに変貌する」と分かっていて、それを承知で、イソップはジェイを納棺し、死に導きました。ジェイが見下しているもの、というと「彼のカモ」ともいえる「さまよう人々」が思い浮かびますが、もしかしたらイソップは、ジェイを「納棺」することで、ジェイ・カールという男に「〝さまよう人々〟という烙印」を押したとも考えられます。

 つまり、それらを分かっていながら、「知っている」とのたまいながら、「意図的に、自覚的に、烙印を押す目的で」イソップはジェイを死に導いたとも読み取れるのです。

 これって、結構な悪意があると思えないでしょうか。

 少なくとも、「尊敬している相手」や「好いている相手」へする行いではないです。〝納棺〟の目的とされる「救済」でもない。

 だとしたら、これって、「復讐」なんじゃないか。

 そんな風に感じてしまいました。

 

 エリサはイソップにとっての使者でした。(「9.メッセンジャー」考察より)

 使者は、「ジェイへの疑念、疑い」と、「母の最期の願い」と「真実」とを運んでくれました。

 それにより、イソップは復讐を行いました。

 誰の復讐か。

 それはやはり、両親の、ではないでしょうか。

演繹衣装「ハムレット」 ──両親を奪われた復讐の息子

 イソップの演繹衣装は、ご存じシェイクスピアが四大悲劇、『ハムレット』のハムレット王子です。「え? 王子?」と当初は戸惑ったものでしたが、ここにきて納得がいく人もいるかもしれません。

 『ハムレット』とは、叔父である男に「父親」と「母親」を奪われた「息子」ハムレットが、その「復讐」を行う物語だからです。

 

 イソップの父は、恐らくは亡くなっていると思われます。死因などは触れられていません。ですので、これは単なる憶測です。

 しかし、「実母Y.R.」はジェイ・カールに〝納棺〟されています。ジェイによって奪われています。イソップは、母の手紙から、それらの真実の意味に気が付いた可能性があります。

この点については、なんの情報も示唆されていない以上、すべてが妄想の域を出ませんが……、逆を言えば、なんの情報もない以上、イソップの父親がジェイによって〝納棺〟されている可能性さえも、ゼロとは言い切れなくなります。

 つまりです。

 

「親を奪われた息子ハムレット」=イソップ

「両親を奪った男(クローディアス)」=ジェイ・カール

「男に奪われた親」=実母Y.R.(+実父)

 

という、『ハムレット』の物語を踏襲したような図式は、わりと容易に成り立ってしまったりするのです。すごい。

 そうなると、イソップによるジェイへの復讐、という流れは「記号的」な意味でもかなり整然としていて、むしろちょっと怖いくらいに感じられます。

 

 少々脱線してしまいますが、演繹衣装「ハムレット」についても英和訳を試みましたので、ここで少し触れてみましょう。

 

【演繹衣装ハムレット

「今のままの自分でいていいのか、変わるべきなのか。

それが問題なんだ。(葛藤しているんだ)」

 

 こちらの訳は、背景推理同様に英語版から和訳を施したもので、そこに更に少しだけ意訳を加えたものになります。

 できる限り、英和訳するにあたって意訳はしないようにしてきたのですが、この衣装ハムレットに関しては、有名すぎるほど有名なあの名言『To be or not to be, that is the question. 生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ』が立ちふさがってしまうので、ハムレットという作品について調べつつ、このように訳してみました。

 そもそも、この有名な台詞が登場するのは、ハムレットが「父の復讐をするべきかどうか悩んでいる」場面となります。

 この時点で、ハムレットは父を殺した真犯人が自分の叔父だということを知っていますが、父の復讐を行うかどうかひどく葛藤します。なぜなら、彼は敬虔なキリスト教徒なので、復讐を選ぶなら、天罰を受けて死ななければならないからです。

 けれど、真犯人と分かっていながら、その真犯人が「自分の母親を奪い」、玉座を奪い、祖国に君臨し続けてゆくことを見過ごすこともできません。

 復讐しなければ生きてはゆけます。けれど、それで良いわけがない。

 でも、じゃあ、自分は死ななければならないのか?

 自分はどちらを選ぶべきなのか?

 このまま(何も変えることなく、今のままで)生き続けるのか、それとも(死ぬことを承知で、復讐を選び)変わるべきなのか。それが問題なんだ。

 そんなハムレットの葛藤の先で、かの名言は呟かれたのでした。

 

■『ハムレット

イリアムシェイクスピア作の悲劇。デンマークの王子として生まれたハムレットが、デンマーク王である父親を毒殺して王位に就き、かつ母親を妃に娶った叔父クローディアスへ復讐をする物語。四大悲劇のひとつとされる。北欧の伝説が原型とされているらしい。

■『ハムレット』の名言

ハムレットには他にも有名な台詞(一節)があります。

「Frailty, thy name is woman.」

こちらは「弱き者よ、汝の名は女」と訳される台詞。原作の意味合いは置いておくとして(女性蔑視だし)この台詞から派生した多くの創作物上のセリフ回しが楽しいです。筆者が知っている中でいちばん好きなのは「『ガートルードのレシピ』(草川為著)に登場する「弱きものよ、汝の名は××なり」という必殺技名。すごく汎用性の高い一節なので、ぜひ二次創作にご活用ください。

 

 

 「To be」は「今のままのかたちで存在すること」を指します。且つ、「Not to be」で「今のままで在ることをやめること=今の生き方をやめること」となります。

 このまま存在するのか、それとも、今の在り方をやめるべきなのか。変わるべきなのか。

 そういう種類の葛藤を指し示す文章となるのですね。

 

 ここで翻ってイソップです。衣装の中でも、「Deduction Target=演繹目標」たる「演繹」の名を冠する衣装に意味が篭められていないわけがありませんよね。(謎の確信)

 イソップにとって、ジェイは復讐の対象であると考察しました。

 それまで、ジェイを信じていた世界こそが、イソップが生きる場所でした。けれど、イソップは、エリサという名の使者から「ジェイへの疑心、疑念」と「母の手紙」「真実」をもたらされます。

 彼はきっと葛藤したのでしょう。ハムレットのように。

 「このまま(真実に気付いた上で、復讐を行うことなく)今まで通り生き続けるのか」。

 それとも、「(自分の心や世界が壊れることを承知で、復讐を選び)変わることを選ぶのか」。

 それが問題なんだ。葛藤しているんだ。

 

 ──前述したように、きっと〝ここ〟が、イソップという青年にとってのターニングポイントだったのだと思われます。

 だからこその、この演繹衣装「ハムレット」だったのでしょう。

 両親を奪われた息子の、「復讐の葛藤と選択」。

 そうしてイソップもまた、ハムレットと同様、復讐することを選んだのです。

 それが「10.卒業」で明かされたわけなのですね。

 

11.約束に赴く~Keep an Appointment

 少し和訳から逸れてしまいましたが、結局、イソップはジェイを〝納棺〟し、復讐を遂げ、それによって「卒業」したと、背景推理からは読み取れそうでした。

 ならばです。なぜそこで「終わらなかった」のか。それが疑問ですよね。

 なぜそこで、イソップの物語は終わらず、「荘園へ赴くイソップ・カール」へと続いていってしまったのか。

 それは、信じていた世界が瓦解してしまったために訪れた、イソップの中の「解離」に繋がるものと考察できそうです。

 最後の項目です。いってみましょう。

 

11.約束を守る

僕は、この招き(招待)を断ることが出来ないし、拒めない。

あそこには、途方に暮れた、どこに行けばいいのか分からない人々の数が多すぎる。

目標:

仲間を棺から蘇らせる

終結論:日記の一篇

僕はついに、彼がいつも、闇のなかから、道に迷った人々を導くときに感じていた(経験していた)その喜びを理解した。

また、彼がなぜ、はやく約束を守りたがっていたのかも(約束を守ることに熱心だったのかも)理解した。

 

 まずびっくりは「約束を守る」です。まさかの赴いてない。どこにも出かけてない。

 タイトルには「Keep an Appointment」とあてられていましたが、慣用句で「約束を守る」と訳せます。中国語原文は「赴约」というタイトルですが、こちらも英訳すると「Keep an Appointment」とそのままでした。赴く、という漢字が用いられているので、そのまま「約束に赴く」と和訳したのかもしれません。つらい。

 日本語版では、「彼がさまよう者たちを引き渡す喜びを、僕もついに感じることができた。」とされていますが、英語版ではもう少し詳しく語られていますね。

 つまりは、「ジェイは、闇の中に迷い込んでしまって困っている人々を導き、助けたりしていたが、そのときに喜びのようなものを感じていたはずで、その喜びを、自分もついに経験したし、理解した」とイソップらしき人物は語っているようです。

 引き渡す、だとなんだか上からですし、めちゃくちゃ死神ぽいですが、英語版での口ぶりからするに、イソップらしき人物は「ジェイのしてきたことを肯定しているし、よいものだと考えているし、それを自分も理解できた(よかった)」と考えているようです。

 つまり、〝納棺〟という行為を肯定しているんですね。

肯定と否定、矛盾

 んんん?

 先ほどまでの流れと矛盾しますよね。イソップは復讐をしたはずではなかったの? ジェイに疑問を持っていたんじゃなかったの? 母の手紙は? ハムレットは? おかしくない? ってなもんです。

 ジェイに疑問を持っていたはずの人間が、その対象に復讐や〝納棺〟までした人間が、唐突に「ジェイは困ってる人を助けて偉かったし、自分もそうすることで得る喜びを理解できたぞ!」と語り始めている。テンションの落差がすごいことになっている。

 

 なるほど時系列が前後しているんだ! ……と、そうも考えましたが、ここで「僕は、この招き(招待)を断ることが出来ないし、拒めない。」という文面です。

「招き、招待」の部分には「Invitation」という単語が充てられています。これはジェイに届いた「招待状」と同じ単語です。そして、背景推理内で「招待、招き」といえば、ジェイに届いた「エウリュディケ荘園からの招待状」以外は存在しません。

 つまり、イソップらしき人物が語るこの「11.約束に赴く」とは、「ジェイに招待状が届いた後」であり、「イソップが〝納棺〟を経験した後〟」となります。

 招待状が届いたのは「7.休学期」。その後は「8.最後の授業」→「10.卒業」→「9.メッセンジャー」と続くと考察しました。

 イソップが〝納棺〟を経験している様子がはっきりと示唆されているのは「10.卒業」だけです。それまでは、イソップ自身がジェイの行うような〝納棺〟を自ら行っている様子は描かれていませんし、はっきりと示唆もされていません。(もしかしたら、イソップにとっての完全な〝納棺〟とは、ジェイ・カールが初めてだったのかもしれません)

 また、イソップが遺留品リストのなかから「招待状を確認した」のは「9.メッセンジャー」です。

 そうなると、どうしても、「11.約束に赴く」は、「7」のあとであり、「10」のあとであり、且つ「9」のあととなってしまいます。

前述の考察も合わさると、こういう流れになりますね。

 

「8.最後の授業(イソップのジェイへの攻撃)」

「10.卒業(イソップによるジェイの納棺=殺害)」

「9.メッセンジャー(【ジェイによるエリサの殺害】をきっかけと捉えるイソップと、誰かの遺留品、その中に存在する招待状)」

「11.約束に赴く(ジェイの行いと〝納棺〟を肯定するイソップ)」

 

 ジェイを納棺し終わって、復讐が済んだあと。

 なぜかその後に、イソップは「ジェイの行いと〝納棺〟を肯定し、彼と同じ感覚を得られたことを喜んでいる」。

 ここで、もしかして、と浮かぶ疑問が、各所で触れてきた「解離」という考察です。

イソップにとっての解離、矛盾の正体

 「解離」とは、自分を壊しかねない出来事や現実から自分自身を守るための防衛策でした。

 記憶を失ったり、改変したり、別の人格を生み出したりすることで、自分の心を守ります。生きるために、無意識化でそういった手段を選び取ります。

 どの時点であるかは明確には分かりません。けれども、恐らくイソップは「解離」をすることで自身の心を守ったと推察されます。

 

 彼は「8.最後の授業」「10.卒業」でジェイへの復讐を果たしました。

 しかし、たとえ復讐を遂げたとしても、イソップの世界が崩れてしまったことにはなんら変わりありません。

 むしろ、庇護者であり、世界を基礎づけてくれていたジェイはいなくなってしまいました。「ジェイを善良だと信じて」という母の願いも拒んだことになり、そしてなにより、いよいよもって、自分は「殺人者」と成り果てたのです。母の願いである「父のような紳士」と程遠い存在に成ってしまったのです。

 イソップにとっての世界は、復讐を遂げたからこそ、ただもう崩れゆくものだったのでしょう。だからこそ、防衛手段としての「解離」が選び取られたのだと思われます。

 「僕」であるイソップと、「私」であるイソップ。

 例えばそれは、一方で「両親の復讐をするイソップ」であり、「ジェイの行いを否定するイソップ」であり。

 一方では、「母の言うとおり、ジェイは善良な、素晴らしい納棺師だったと肯定するイソップ」であり、「〝納棺〟は素晴らしい行為だと信じているイソップ」であったりするのでしょう。素晴らしい行為だからこそ、さまよう人々を救済する行為だからこそ、「11.約束に赴く」で「自分が同じ喜びを得られた」ことを喜んでいるのでしょう。ジェイを自らの手で納棺したことも忘却している可能性があります。

 これこそが、背景推理内で起こってしまった「矛盾」の正体なのだと思われます。

 イソップのなかでは「ジェイの否定」も「納棺の肯定」も、矛盾したまま同時に存在できているのでしょう。

 けれどもきっと。

 その根っこには、いつか母Y.R.が愛してくれていた「優しくて、穏やかで静かな、温和な青年イソップ」が存在し続けていると想像してしまいます。

 心根の優しい青年でなければ、こんな風に追い詰められなどしないはずだからです。

荘園へ赴く理由

 「矛盾」の正体については考察が出来ましたが、疑問はまだまだ残ります。

「なぜ、復讐を遂げた先に、イソップが荘園へ赴くこととなるか?」という謎です。

 荘園に赴くにあたっては、お察しの通り、招待状はジェイが受け取っていたものを利用したのだと思われます。背景推理内で「招待状」はジェイの受け取ったそれしか登場しませんし、「遺留品リスト」がジェイのものであるなら、招待状がイソップの手に渡っただろうことも確認できます。

 けれど、本質はきっとそこじゃないですよね。

 イソップという青年の物語は、「親を奪った男への復讐」で幕を綴じたとしても、文脈的にはなんら問題ありません。

 けれど、彼の物語は続きます。「納棺師イソップ・カール」として、「荘園へ赴く」という形で続きます。

 果たして、彼の物語はなぜ続いてしまったのか。

 それはきっと、イソップが、自分自身を「ジェイの教えを守る〝納棺師イソップ・カール〟」だと信じ、そう演じたからだと思われます。

 「イソップ青年」は解離し、その先で「納棺師イソップ・カール」に〝成った〟わけです。

 

 つまり、これまで読み解いてきた背景推理──「Deduction Target=演繹目標」とは、「納棺師イソップ・カール」が誕生するまでの軌跡を説明したものだったのではないか、と考察して、次なる章へ移りたいと思います。 

 

 

3.「納棺師イソップ・カール」の誕生

イソップという青年の軌跡 ~その生涯

 これまで本書のなかで組み立てた「イソップ青年」についての流れを──考察できたその軌跡をまとめてみます。

 

 ──1944年以降のいつか、戦後以降のとある時代。

 イギリスのとある上流階級(あるいは中流階級)の家に誕生したイソップ・Rは、順調に成長し、十一歳でパブリックスクールへの進学をします。ですが、自身の持って生まれた特質(アスペルガー症候群)がゆえに退学を余儀なくされました。

 その後、細かな経緯は不明なものの、イソップは中産階級にあたる「カール家」の養子となり「イソップ・カール」と名前が変わります。

 その折に、恐らくは「ジェイによるY.R.の〝納棺〟」を条件に、ふたりの間で約束が取り交わされました。まだ幼いイソップを養育し、育て挙げるという約束です。

 すでに実父が他界していたとするなら、なんらかの要因で衰弱をしていた母Y.R.に代わって、幼いイソップを保護してくれる環境を探していたと思われるからです。

 

 (もしかしたら、階級と家柄的に、パブリックスクールを退学となるような子息を置いておけないなどで、母子ともに離縁されたなどもあったのかもしれませんね……。もしくは、家長である父が亡くなったことにより、後ろ盾をなくし、イソップの居場所がR家になくなってしまったのかもしれないなど……。そういった状況から、Y.R.も疲弊し、衰弱していたのかもしれません。妄想の余地ありまくりな部分です)

 Y.R.は条件をのみ、イソップを遺して亡くなります。ジェイに〝納棺〟されます。

 ──ちなみにですが、イソップと符合するだろうハムレット、その母親であるガートルード(つまりY.R.と符合する女性)は、夫を殺した男から〝息子を守るために〟死に至ります。符合しすぎてちょっと怖いですね。

 

 しかしながら、Y.R.はその死の前に、一通の手紙をしたためていました。

 それは「イソップが成人した二十一歳の誕生日を祝う」内容のもので、彼女は、自分に仕えていた使用人で、且つ、自分の良き友人、味方であるエリサに託しました。「どうか二十一歳になったイソップに、この手紙を渡してほしい」と。

 

 そうしてイソップがカール家で育ち、ジェイの元で「葬儀屋(※2021誕生日タスクの日記にて考察します)」の手伝いをし、無事に成人した年です。エリサはY.R.との約束を果たすべく、イソップに手紙を送ります。「黄色の薔薇の花園で会いましょう」と。

 しかし、エリサはY.R.との約束を果たすことなくジェイに殺害されます。殺害の理由は定かではありません。 ……ありませんが、もしかしたら、Y.R.と旧知であったエリサが、イソップに何かしらの情報を吹き込むとでも危惧したのかもしれません。ここらへんは二次創作が火を噴く箇所でしょう。色々な解釈をお待ちしております。(※この本も二次創作です)

 

 ここで、愛する母が信頼を置いていた、懐かしい女性の突然の「死」と、ずっと信じてきた養父のあからさまな「嘘」と「殺人」が、イソップの前に突き出されます。

 そうして困惑するイソップは、ふとエリサの遺体から、彼女がその手で渡せなかった母Y.R.の「手紙」を見つけます。

 

 直ぐではなかったかもしれません。もしかしたら、手紙もすぐにジェイに取り上げられたりしたかもれしれません。

 けれど、やがてイソップは気が付いてしまいます。ジェイへの疑心を契機に、さまざまな可能性に〝初めて〟思い至ります。

 さまよう人の〝納棺〟とは、殺人と同義であること。自分は殺人に加担していたということ。

 〝納棺〟が救済でない以上、母の死も、思っていたようなものとは違っていたということ。

 当然、イソップの精神にひどい負荷がかかります。その葛藤たるや、想像もできません。彼の特質を鑑みれば、苦しみも相当のものでしょう。「生きるべきか、死ぬべきか」。そのレベルの葛藤です。(演繹衣装ハムレットより)

 けれども、イソップは最終的に「復讐」を選びます。ジェイ自身が見下してきただろう者たち=さまよう人たちと同様の手段でもって、〝納棺〟でもって、ジェイを「彼が軽蔑してきたもの」そのものへと落とすことで、復讐を果たします。

 結果、イソップ青年は自分の心を守るために「解離」することとなりました。

 その「解離」症状のひとつとして、彼はジェイを殺したことを忘却しました。

 そして、「納棺師イソップ・カール」を演じ始めました。

 それが、背景推理からの結論、「納棺師イソップ・カール」が生まれた経緯でした。

「納棺師イソップ・カール」とは

 つまり、「納棺師イソップ・カール」とは厳密には実在のしない人物であり、「イソップ青年」が自分を守るために作り出した存在、あるいはもうひとつの人格と見ることが出来るわけでした。

 突飛な結論ではあるのですが、ここで色々とその考察に至るにあたっての論拠を述べたいと思います。

衣装「ロールシャッハ」~演じる人、反転と分裂

 ここでまず最初に挙げたいのが、イソップの衣装「ロールシャッハ」です。

 こちらも、もちろん英和訳しました。がんばってます。

 

【衣装 ロールシャッハ

「Rorschach Physicianロールシャッハ精神科医

症状:役割を演じる妄想症

記録:彼は決して自分が患者であることを認めなかったし、

その代わりに、自らが精神科医であると主張していた。

また、他の患者に共に脱出しようと呼びかけを行っていたようで、今回は最終的に大変なことになった。

 

 「役割を演じる妄想症」という和訳ですが、英語版では「Role-play paranoia」となっています。日本語版では「ロールプレイ症妄想性障害」と訳されていた部分ですね。だいたい同じような意味を想像できる感じです。

 「Role-playロールプレイ」には「役割練習、役割を演じる、実際に演じる」といった意味があります。文面からうかがえるように、なんらかの職業の人間(この場合は精神科医)を演じる「妄想」をしている、そういった症状から抜け出せずにいる、そういった訳で合っているかと思います。

 「衣装ハムレット」に深く意味が備わっていたように、大なり小なり、衣装そのものにも意味付けがあり、「演繹対象」であるのだと推測した上で、衣装の訳文を鑑みてみます。

 

 まずそもそもの「ロールシャッハ」ですが、これはもう有名ですよね。実在する精神科医ヘルマン・ロールシャッハ氏、そして氏が生み出した「ロールシャッハ・テスト」という性格検査の名前と思われます。ほかにもアメコミでそういう名前のヒーローがいますが、たぶん違うので割愛します。

 その「ロールシャッハ・テスト」ですが、こちらは「投影法」に分類される性格検査のことでして、恐らく「あ、これ見たことある」という方も多いのではないでしょうか。紙にインクを垂らして、それを二つ折りにし、再び開くと、左右対称の図形が出来上がります。(衣装のマスクにも描かれているアレですね)

 その「左右対称の図形」が描かれたカード(ロールシャッハ・カード)を被験者に見てもらい、「なにを想像するか」述べてもらう、というのが「ロールシャッハ・テスト」の概要です。

 つまり「左右対称のインクの染み」からどんなことを想起するか、無意識化の自分の思考などをテストするのです。そういった精神分析学の手法のひとつを指します。

 ここで「おっ」となるのが、「左右対称」「二つ折り=分裂」という点です。

 衣装「ロールシャッハ」は、「なんらかの職業の人間を演じて」います。そして、ロールシャッハを象徴する図形とは、「ひとつのインクから分裂した、反転する2つの図形」です。

 つまりです。もし、この衣装も「イソップ・カール」を知るための演繹対象だとして。

 その場合、この衣装からは、

  • 「イソップ・カール」という青年が【〝納棺師〟を演じている】こと
  • 「イソップ・カール」という青年が【反転し、左右対称に分裂している】こと

 

 このふたつのことが読み取れるのです。

 

■ヘルマン・ロールシャッハ

スイス、チューリッヒ出身の精神療法家、フロイト派に属する精神分析家。

1921年に、被験者にインクのしみを見せて何を想像するかを述べてもらい、その言語表現を分析することによって被験者の思考過程やその障害を推定する「ロールシャッハ・テスト」を考案したとして名高い。

Wikipediaより引用)

精神分析

ジークムント・フロイトによって創始されたもので、心、特に無意識について理論や、それに関する病理の改名、治療方法など。内容が難しすぎる&難解すぎるけれど楽しい学問?分野です。人間が認識する「意識」とは氷山の一角であり、大部分が自覚できない無意識の領域に存在する、みたいなたとえ話が有名。最近だと鬼滅の刃で「無意識領域」という単語が出てきましたが、あれは恐らくフロイト精神分析学での「無意識」のオマージュ・アレンジなんじゃないかなあと考えられます。夢が絡むのでユングかもしれない。

 

納棺師とエンバーマー

 話は少し逸れるのですが、日本において【納棺師】と【エンバーマー】とは明確に違う職業とされています。

 【納棺師】は主に遺体の傷痕などが見えないよう、死に化粧を施すなどして「保護やケアをする」ことが出来ますし、対して、【エンバーマー】は「遺体の損傷や、傷痕を修復する」こと(エンバーミングのことですね)が出来ます。

 たとえば、もし目の前の遺体に傷があったとします。【納棺師】は、傷口から血や体液が出ないように止血したりメイクで傷痕を隠したりできますし、【エンバーマー】は皮膚そのものを縫合して傷口を綴じ、遺体用のワックスなどをかけて、普通の皮膚のように修復を行えます。納棺師は「遺体の見た目を綺麗にできる」けれど、エンバーマーは「遺体の状態も綺麗にできる」という風に、できることが異なってくるのです。

 逆を言えば、エンバーマーではない【納棺師】が、遺体の「修復」などは行えないようになっていますし、やってはいけないのです。もしやったら遺体損壊など犯罪行為になってしまうそうです。知らなかった……。

(※できれば、イソップが生きただろう年代の(イギリスの)納棺師についてもきちんと調べたかったのですが、時間や手段の関係で、そこまでは手が届きませんでした。よって、現代日本を例として挙げさせて頂いております。)

 そういったことを鑑みると、同じ「納棺師」でも、「イソップはどちらなのだろう?」という疑問が浮かんできます。

 後述しますが、「2021誕生日の日記」英語版で、イソップは自身を「Undertaker」と称しています。

 「Undertaker」とは「A funeral director:葬儀屋」という意味であり、具体的には「葬儀、埋葬、火葬の管理を仕事とする人」のことを指します。(海外辞書サイトWordSenseより引用)

 

 つまりは、死後に必要とされる葬儀などを取り仕切り、請け負う職務の方々を指す単語の洋です。

 納棺師としてだけでなく、死後の色々をひととおり(あるいはすべて)一任されていたとしたら、そういった働き方をしていたのだとしたら、もしかしたらジェイは「葬儀屋」でありつつ「納棺師」であったのかもしれません。たしかに、納棺師としてだけで食べていくのはなかなか厳しい気もします。

 その仕事を手伝う立場であったなら、イソップが自身を葬儀屋と称するのも納得です。

 でもそれって、イソップは納棺師ではないってことになってしまうのでしょうか?

 

現代日本エンバーミング

日本においてのエンバーミングとは、エンバーマー

(Embalmer)と呼ばれるIFSA(一般社団法人 日本遺体衛生保全協会)のエンバーマーライセンスを取得した者や医学資格を有した医療従事者によって、化学的・外科学的に遺体を処置されること。

Wikipediaより引用)

このライセンスを取得するのが恐ろしく難しいらしく、そのための色々な過程は医師になるよりも困難だとかなんだとか。

 

おくりびと」だが「エンバーマー」ではない

 先ほどの納棺師とエンバーマーについて立ち返ります。

 荘園にいる「納棺師イソップ・カール」は「Embalmer」と訳されています。

 「Embalmer」は「エンバーマー(エンバーミングをする人)」ですが、日本では納棺師とエンバーマーは区別されています。そして、現代日本での納棺師とは「おくりびと(死に化粧を施す人)」のことを指します。エンバーミングはできません。

 イソップが「エンバーミングする人」なのか「おくりびと」なのか、どちらの意味で「納棺師」と訳されているのかは、やはり、明確には分かりません。どちらの意味合いで翻訳が為されているのかは推測しかできないのが現状です。言語の差、文化の差がここで立ちはだかる……。

 それでは本書ではどう推測するのかといえばですが。

 

【イソップは葬儀屋であり〝おくりびと〟であり、

 しかし、〝納棺〟(ジェイの行うエンバーミングに似た行為)はしたことがなかった】

 

 という風に仮定したいと考えています。

 なぜかといえば、理由はふたつあります。

  • 後述の2021誕生日タスクの日記内で、イソップは「棺に花を添える」行為でジェイに褒められる(そういう夢を見る)
  • ジェイが自らの犯罪行為が露見するような〝隙〟をみせるとは考えにくい

 

 ジェイの〝納棺〟には、まずもって対象への「説得」が行われます。また、その説得も(背景推理から察するに)とても丁寧であり、そこからも、彼が非常に「慎重に事に及ぶ」人間であることが伺えます。それに、彼は「露見しにくい手法=納棺」を用いて、事に及んでいます。

 そんな彼が、そう簡単に他人(=イソップ=一種の不安要素)に、みずからの急所をさらけ出すものなのか。そんな疑問が浮かびませんでしょうか。

 たとえイソップがジェイを信じ切っていても、ジェイの言葉をまっすぐに受け取り、疑わないとしても、それこそ、嘘が吐けない性質のイソップだからこそ、うっかりと、誰か第三者へ〝納棺〟について零してしまう可能性はあるのです。そうならない保証はどこにもありません。

 そうであれば、ジェイは、イソップへその教えを説いたとしても、〝納棺〟そのものについては、明確には触れさせていなかったのではないでしょうか

 

 あくまでも、イソップには「葬儀屋」としての職務を手伝わせ、「おくりびと(死に化粧を施すひと)」としての修行のみをつけていた。「納棺師(エンバーミングを施すひと)」には育てていなかった。

 そんな風にも推測できますし、それならば、イソップが後述のように「英語版:Undertaker(葬儀屋)」「中国語原文:送行人(おくりびと)」と自らを称したことにも納得がいきます。

 

 また、こちらも後述の和訳に登場しますが、イソップは「棺に花を手向け、いい仕事をした、とジェイに褒めてもらう」夢をみます。

 「おくりびと」としてみるなら、その行為は十全なものかもしれません。しかし、「エンバーミングを施すひと」としてみてどうなのかといえば、褒められる理由としては、なんだか稚拙な印象を受けます。

 もしかしたらイソップには、死に化粧や花を手向けることのほかには、「エンバーミング」という工程に触れた経験がないか、あるいは「見るだけ」であったのかもしれません。

 

 まとめますと。

 イソップという青年は、二十一歳となるまでに、ジェイ・カールから「葬儀屋」「おくりびと」としての教えを受けてきたが、ジェイの行う「納棺師(エンバーミングをするひと)」としての仕事や、〝納棺〟という行為そのものには直接的には触れずにきたのでは、と考えられます。

 

 そんなわけで、本書では、ある意味でイソップは「納棺師」ではなかった、という考察へ至りました。

 本来のイソップ青年は〝納棺師〟ではなかった。

 けれど、イソップという青年が解離した結果、「納棺師イソップ・カール」が生まれたし、彼はそう演じることで自己を保ちました。

「納棺師イソップ・カール」への違和感 ──彼の動機

 突然ですが、本書を書くにあたっての直接の動機は、「2021年誕生日の日記」に対する違和感でした。

 今までのイソップ・カールの情報や、それらから想像されていたものと、どこか「矛盾」や「離れている」印象が目立ったのです。え、イソップらしくないな? どうしたの? という感じで。恐らく、同じように感じられた方って多いんじゃないかな~、と今でもぼんやりと思っています。

 そうして、違和感を突き止めたいと考察をはじめてみて気が付いたのは、「この〝納棺師イソップ・カール〟は、さまよう人のために動いていない」という点でした。

 

 それまでに開示され、ファンの間での共通認識とされてきたイソップ・カールとは、

「生を全うし、人生の終着点へ辿り着いた死者にとって理想の〝おくりびと〟」

であり、また、

「ジェイ・カールの教えに基づいて、自身が死んだことを認めることができずにいる〝さまよう人々〟を導くため、納棺師としての使命を全うしようとしている青年」

といったものであったと(個人的には)認識していました。

 イソップ・カールとは、生と死について、その尊厳について、非常に誠実な姿勢を持った、ある意味で〝利他的〟な、そういうキャラクター像だったように思われるのです。

(たとえ〝納棺〟が殺人で、彼が殺人者の可能性があったとしても、です)

 しかしながら、「2021年誕生日」にて明かされた「荘園に存在する〝納棺師イソップ・カール〟」は、【自身のために】動いていました。

 【自分を理解してくれる人】を、【自分の静かな友人となってくれる人】を探していました。

 その動機も、行動基準も、どこまでも〝利己的〟なものでした

 そこには、生者に対しても死者に対しても、「畏敬の念」はあまり感じられません。尊重するどころか、〝納棺〟という行為も、自己の利益のための手段に転じています。

 これがあのイソップ・カールなの? という感じで、正直びっくりしました。信じられない気持ちも大きかったです。

 これはなにかを見落としているのでは、と考えました。

 そうして辿り着いたのが、「青年イソップ」と「納棺師イソップ・カール」とはそれぞれ違う〝誰か〟なのではないか、「納棺師イソップ・カール」とは演じられた者なのではないか、という推測であったわけです。

2021年誕生日の日記

 ようやくという感じですが、ここでやっと件の「日記」英和訳をみてみたいと思います。

 だいぶ長いですが、どうぞお付き合いの程よろしくお願いします。いきましょう~。

 

【2021誕生日の日記 ——「イソップ・カールの日記」】

 ……

 やっとだ、ついに全員そろった。

 手紙にはこう書いてあった。あと三日でゲームが始まることになる、と。

 明日は、僕にとってはあの人と話すときだ。

 

 昨夜、僕は夢を見た。ジェイの夢だ。

 彼はおぼろげな、曖昧な黄色の光のなかに立っていて、棺桶の中の遺体の飾りつけをしている。

 僕は棺桶のなかへ白い花を置いて、彼を手伝った。

 彼は僕の肩を叩いて、そしてこう言った。僕が良い仕事をした、と。

 

 思うに、あの夢は前兆や兆しとなり続けているのかもしれなくて、僕が(これから)自分の目的を見つけることへのお祝いで、そして、僕がやるべきことを思い出させてくれているのかもしれない。

 

 長年に亘って、僕は、自分のなかのジェイへの教えを守り続けてきたし、葬儀屋としての責務や職務を忘れたことはない。

 

 荘園に入ったときから、僕は新たな出発を試みるのに適任な人物を探し続けている。

 あのいい加減そうな、頼りにならない、信用ならない少女も違うし、奇妙でおかしな異国訛りのある、偏屈で気難しい男でも、どちらでもない。

 柔らかで心地よい棺の中へ横たわるには、静かな、寡黙な人が最適だ……。

 そして今、僕の捜索は終わったんだ!

 

 彼はまさに、永遠の眠りにつくに相応しい顔つきをしている。

 彼はいつも、隅っこで静かに座って、誰かに知られること、発見されることを恐れるような、そんな秘密を抱えているようにみえる。

 

 僕が思うに、僕は彼を理解する唯一の人間だし、そして彼もまた、僕を理解してくれる。

 明日、彼と話してみよう……。

 というより、あるいは彼にメモや手紙を書くべきなのかもしれない。

 

 彼だけが理解できるし、彼にしか分からない。

 僕がどうしても、彼に、僕の「静かな友人」になって欲しいのだということを。

 

 もし彼が僕に望むのであれば、僕は、彼の(彼にとっての)

 男友達/失敗作/くだらないもの/下劣な奴/魅力のない女(軽蔑の意味で)/裏切者

 も、なんとかできるし、解決や対処もできる。

 それと、ほかの二人……、といっても、最も適した候補書ではないのだけれど……、

(彼が望むのであれば)僕は、彼らをお見送りする素晴らしい機会も、そのままにして留めることができる。

 

 僕は、僕の化粧箱をひらくこと、そして僕の使命を達成することが待ち遠しい。

 

 うん。知っていたけれど本当によく分からん。

 この英和訳がいちばん緊張したし、難しかったです。なにしろ英語版でもスラングが多用されていて、そしてスラングにはネイティブにしか伝わらない語感や意味などがありますので、それを調べるのがまず大変でした。イソップさん、意外とスラングとか俗っぽい言葉を使うんだね。(意外だけれど好きだよ)

 

スラング

公の場で公然と使うのは躊躇われるような言葉。または特定の集団内でだけ通じる隠語、略語、俗語も指す。らしいです。日本でも「××の犬」といったスラングを使いますよね。まあ実際の犬様はめちゃくちゃ愛くるしく賢くて可愛いので人間如きがたとえに用いるなんておこがましいですけれd(イッヌ強火派)

 

 界隈がざわついた手紙の内容については、ここでは触れません。「信用ならない少女」や「異国訛りのある男」が誰なのか、日本語版で「子犬」と訳され、中国語原文で「子狗」と表記された部分がどういう意味を持つのかなどは、イソップ・カール自身の考察とは少しずれてしまうので、おまけコラムにてこっそり触れておこうと思います。よければそちらをご参考下さい。(再録語加筆:現時点では作中でほとんど明かされているのでコラム掲載はしていません)

 

 さてお立合い。この衝撃の日記から分かることは次のようになります。

 

  • イソップは自らを「英語版:Undertaker」「中国語原文:送行人」と称している
  • ジェイの教えを守り続けている(現在進行形)
  • ……と言っている割に「やるべきことを思い出す=忘れてた」風にも語っている
  • 「棺に横たわるのに適任な人物」を探している(さまよう人々ではなく)
  • ある人物に静かな友人になってもらいたがっている

 

 これらから鑑みるに、やはり荘園におけるイソップの行動原理、動機といったものは「ジェイの説く〝さまよう人を導くための納棺〟を行うこと」ではないように感じ取れます。だというのに、「ジェイの教えを守っている」とも語っています。

 なんというか、矛盾だらけですし、目的と発言と行動とが、すべて破綻しています。

 なぜこんなことになっているのか。

 それはやはり、イソップがすでに「解離」をしていて、「母の最期の願いを叶えたい本来のイソップ」を残しつつ、同時に、「ジェイの教えを守る納棺師イソップ・カール」を演じてしまっているから、なのだと思われます。

「納棺師イソップ・カール」の動機

 なぜ、こうも複雑な事態となってしまっているのか。

 それは、イソップという人間そのものの、根幹の動機に繋がるのだと思われます。

 

 結局のところ、「青年イソップ」としても、「納棺師イソップ・カール」としても、その原動力、動機となっているのは「エリサが渡そうとしてくれていた母Y.R.の手紙」なのだと思われます。

 なぜなら、イソップが「見つけた」手紙は、Y.R.のそれだけだけだからです。

 イソップにまつわる手紙には、ほかにも背景推理のなかでエリサから「受け取った」手紙がありますが、人物紹介文では「見つけた=find」とあります。イソップの動機となる「手紙」とは、受け取ったものではなく、能動的にしろ、受動的にしろ、彼が見つけた手紙となるわけです。

 また本書では、冒頭で、公式紹介文、および背景推理のテキストの変更から、イソップの動機となる母親は、他者の母親ではなく、自らの母親に依るものへと変更されたと考察しました。

 「自らの母親が関連する」「イソップが見つけた手紙」。

 それは、エリサが渡そうとして、そして渡すことができなかった、そして恐らくはイソップ自身の手で彼女の亡骸から見つけたであろう、あのY.R.からの手紙以外には考えられそうにありません。

 つまり、イソップという人間のなかに存在する動機づけとは、「母Y.R.からの手紙」がその根幹にあると考えられるわけです。

 加えて、公式紹介文(特に英和訳)では「母親の最後の願いを叶えるために」と書かれている、とも述べました。

 これらすべてを繋げて考えるなら、イソップという人間は、「母Y.R.の手紙に書かれていたであろう、その最期の願い、望みをかなえるべく行動している」と読み取ることができますよね。

母の願いを叶えるために

 ここで少し立ち戻って、母Y.R.の手紙について考え直したいと思います。

 彼女の手紙には、どんな願い、望みが綴られていたか。

 手紙は、おおよそは「息子を想う心境、懺悔、そして誕生日(成人)のお祝い」の言葉でまとめられていました。

 そのなかでも、彼女の願い、望みと思わしき箇所を鑑みて抜き出してみます。

 

  • (イソップの)父のような、皆に好かれる紳士に(イソップが)成長することを夢見ていた
  • ジェイ・カールは善良な、立派な人だと期待して欲しい
  • イソップは優しくて慈悲深く、穏やかで静かな、温和な子どもだ(そう感じているし、信じている?)

 

 最後のは、母として息子に望む姿、ひいてはY.R.自身の望みだろう、と思い書き加えてみていますが、おおよそはこの三つにY.R.の願いは集約されるだろうと思われます。

 ここで想像できるのが、この3つの願いを網羅する存在こそが「納棺師イソップ・カール」という人格なのではないか、というものです。

 本書では、イソップが解離してしまったのは、彼の特性に加え、彼自身に降りかかった度重なる精神的負担によるものからだ、と考察しました。

 しかし、もしそれだけが要因ではなかったら?

 もしかしたら、「納棺師イソップ・カール」が誕生したのも、そうして、そののちに荘園へ赴いたのも。

 すべては、母Y.R.の願いを、ひいては前述の三つの望みを叶えることが、その根っこにあったのではないでしょうか。

自らのなかの整合性

 2021年誕生日の日記の内容から、荘園へ赴いた、つまりはゲーム内に存在する「納棺師イソップ・カール」は、その言動と目的とが矛盾している、一致していないと述べました。ジェイの教えを守っている、と言いながら、彼が〝納棺〟対象として選ぼうとしている相手とは、「自分を理解してくれる」「自分の静かな友になってくれる」人物であり、極めて利己的な選別をしているからです。

 しかし、です。もしかしたらそれは、その矛盾とは、母親の願い、望みを叶えようとするがゆえに生じてしまったものであり、自然とそうなってしまっただけで、イソップ自身のなかでは矛盾など生じていないのではないでしょうか。

 そう考えると、様々な辻褄が合ってきます。

 たとえば、イソップの中でこんな考え方があったとしたらどうでしょうか。

 「納棺師である自分は、母が夢に描いてくれていた「父のような紳士」になるために、いつか母を救ってくれた(と信じていた)〝納棺〟という行為で、多くの人を暗闇から救いだし、導いてあげる──」

 ……これは、背景推理内で「〝納棺〟とは困っている人を闇から救い出し、導くもの」だと信じていることからも読み取れる考え方です。いつか母も、そうして〝納棺〟によって救われたのだと信じていたから、イソップも彼に弟子入りを決意したはずですから。

 そしてまた、この考え方は、すなわち「ジェイの教えを守ること」に繋がり、ひいては「ジェイ・カールという人間は善良で立派な人間だと信じる」ことにも繋がります。いつか母を救ってくれた〝納棺〟という素晴らしい行為、〝それを実行するジェイは素晴らしい人間〟となるわけですから。

 ただひとつだけ違うのは、「納棺師イソップ・カール」にとっての〝納棺〟対象とは「さまよう人」ではなく、「自分が好意的に感じている相手=〝自分を理解してくれる〟ような、良い存在」だと思われる点です。

 なぜ、そんな風に対象が変わってしまっているのか。ジェイをそのまま「善良」だと信じるなら、そのままジェイの言う「さまよう人=困って言う人を救う」という解釈を信じ切っても良かったはずです。

 恐らくは、イソップにとっての〝納棺〟が何を指しているのかが重要になるのだと思われます。

 なぜ、さまよう人を〝納棺〟するのではなく、自分にとっての「良い存在」を〝納棺〟するのか。

 それは、「〝納棺〟で救われる人=母Y.R.」のイメージが強く残っているからなのではないか、と推察します。

 イソップにとっての〝納棺〟とは、初めてのそれとは、母Y.R.が受け入れたものだったはずです。つまり、イソップにとっての〝納棺〟とは「母のような良い人、良い存在の人が困っているときに受ける行為」なのだと推測できます。

 

 ──母のような善良な人、良い人、自分にとっての良い存在の人が、困っているから。苦しんでいるから。

その苦しみから、困難から救うために、助けるために、「柔らかで心地よい棺のなか」へ導き、救済する。それこそが「納棺師イソップ・カール」にとっての〝納棺〟という行為である。

 

 それはとても慈悲に溢れた行いであり、母が望んだ「優しくて慈悲深い息子」らしい振る舞いでもあるでしょう。「父のような紳士」の行いともいえます。どこまでも他者のためであり、他者に尽くす行為です。つまり、(主に私が)描いていた、イメージしていた、【イソップ・カール】らしい、利他的な動機となります。

 そして、この考え方なら、ジェイの「〝納棺〟で救済する」という教えからも外れませんし、母Y.R.の望みを網羅できるわけです。

 

 ──〝納棺〟とは、母のような善良な人、自分にとっての良い人を救済する行為である。

 

 彼がそう解釈しているとしたら、そういった考えに基づいて行動しているとしたら。

 きっと、「納棺師イソップ・カール」のなかでは、自分の行う〝納棺〟とは、どこまでも善意であり、他者のためであり、利他的な行いであり、(つまり、「利己的」な自覚などは一切なく)

 だからきっと、なにひとつ矛盾などしない、自身の中でも整合性の取れた行いなのでしょう。

 

 自分はなにも矛盾しない。

 母の願ったとおり、望んだように。

 自分は、「父のような紳士」の行いである〝納棺〟で以て、「優しく慈悲深い息子」らしく在り続け、そしてジェイの教えを守り続ける(彼を善良だと信じ切る)「納棺師イソップ・カール」である。

 だから、なにもおかしいことなどないのです。

荘園へ赴く ──「納棺師」として

 荘園へ赴いたのは「解離」によって誕生した「納棺師イソップ・カール」であり、イソップ青年ではない。

 そして、「納棺師イソップ・カール」の目的とは、動機とは、「母の願い、望みを叶える」ことにあった。

 よって、「イソップが荘園へ赴いた動機とは、彼が「解離」をしてしまったから(=「納棺師イソップ・カール」に成ってしまったから)である

というのが本書で考察する「ひとつめの結論」となるわけでした。

 

 イソップ青年は、その出自と特性との不一致により、複雑な生い立ちを重ねることになりました。

 そしてその先、成人を迎えた、あるとき。

 ひとりの殺人者の欲望と、母親の息子を想う愛とが、更に複雑に絡み合い、

 その結果、自身の心が壊れないように、自分を守るために、「解離」することとなりました。

 「解離」は、イソップのなかに、ある意味での理想の人格「納棺師イソップ・カール」を作り上げました。

イソップ青年は自身を保つために「分かれ」、彼──「納棺師イソップ・カール」に成ってしまいました。

 そうして。

 「納棺師イソップ・カール」は、手紙に綴られていた母の望みを叶えるべく、「納棺師」として、ジェイの向かおうとしていた荘園へと、彼の代わりに赴きました。

 そして、母の望みをかなえるために、今も「納棺師イソップ・カール」として〝納棺〟を行おうと、救済を届けようと、行動し続けています。

 彼の中では、なにひとつ矛盾しないまま。

 

コラム【ジェイの〝納棺〟】

イソップ・カールを語るうえで欠かすことは出来ない人物ベストスリー、年長のエンバルマーと思しき人物「ジェイ・カール」。イソップのキャラクター設定の基となった作品が映画『アフターライフ』であるのは有名ですが、名前に「カール」を持ち、且つ「エンバーミング」に関連する、とある実在の人物がいたことはご存じでしょうか。

まず、原案者様による設定では、当初イソップは別の姓名でしたが、実装にあたって「カール」に変更されました。それは、そこに「カール」である必要があったからではないか、と推測される方もいました。そうして名前が挙がったのが「カール・フォン・コーゼル」という人物です。

 

■〝カール〟のモデル

コーゼルはドイツ出身の一般男性でした。妻子を持ち日々を送っていた彼は、とある女性に惚れてしまいます。医師と偽って彼女に近づくコーゼルでしたが、しかし、女性は病により亡くなります。悲嘆にくれたコーゼルは、最終的に、彼女の遺体を連れ帰って素人知識でのエンバーミングを遺体に施します。そうして、死の瞬間までそのご遺体に寄り添っていたそうです。……というとまるで純愛物語みたいですが、家族から遺体を奪っている、妻子を捨てている、加えて、検死の結果、女性の遺体にはそのための改造が施されており、性行為の痕跡もあった、という結構生々しいオチが在ったりします。

問題は、なぜこの人物の名が挙がるかという点です。

 

■Y.R.の〝納棺〟

ここで決して「カール姓を持つということはジェイは実はネクロフィリア」などと結論づけたりはしません。ただ、もし〝カール〟がコーゼルから引用された姓なのだとしたら、その姓を持つ人物、つまりジェイ・カールとは、「結ばれることのない女性に恋をしてエンバーミングで手に入れることを選んだ」というエピソードを抽出された人物なのでは?と妄想できるように思われたのです。(イソップは本来はカール姓ではないので除外)

そうであれば、「愛した女性の息子だからイソップを引き取り育て上げた」となり、そして「母親を愛する、父以外の男に母を奪われたハムレット」の図式も成り立つわけです。ハムレットの父を殺したクローディアスはガートルードを愛していました。もしかしたら、ジェイ・カールという人もまた、そういった人で、彼のY.R.の〝納棺〟とは彼女を手に入れる手段でもあったのかもしれません。

 

 

2章 クトゥルフ神話の側面から

1.クトゥルフ神話

 そんなわけで第1章が終わりました。お付き合い頂きありがとうございました!

 そして、ここから第2章、「神話的視点」からイソップを考察するターンです。妄想の度合いも益々もって強めになってゆきますので、どうか振り落とされないでください!

 そして、ここでちょっとだけご留意いただきたい点を。

 

  • クトゥルフ神話について、筆者はかなりの初心者です
  • TRPGも経験はありますが、かなり初心者です
  • がんばって調査してますが、実際にクトゥルフ神話TRPGに触れられている方にとっては「おや?」という部分もあるかと思われます
  • なので、「初心者が頑張ってるじゃん……?」という生温かい目で見守って頂けたら&色々ご勘弁頂けたら幸いです
  • むしろ先達様方の知識を更に加えてご自身の中の考察を深めてもらえたら、そういうきっかけになれたら嬉しいです!

 

 以上、「OK、一緒に狂おうじゃないか」という方はぜひ引き続き本書をお楽しみください。

 まずは、クトゥルフ神話について触れてゆきましょう。

クトゥルフ神話とは

 いきなりなんの脈絡もなく登場している単語、クトゥルフ神話について、まずは頑張って解説してゆこうと思います。

 まずはスタンダードに、オタクの味方、Wikipediaなどから引用失礼します。

 

クトゥルフ神話

20世紀に、アメリカで、創作として創られた、架空の神話である。

パルプ・マガジンの作家であるハワード・フィリップス・ラヴクラフトと友人である作家クラーク・アシュトン・スミス、ロバート・ブロック、ロバート・E・ハワードオーガスト・ダーレス等の間で架空の神々や地名や書物等の固有の名称の貸し借りによって作り上げられた。

太古の地球を支配していたが現在、地上から姿を消している強大な力を持つ恐るべき異形のものども(旧支配者)が現代に蘇ることを共通のテーマとする。

 

引用:Wikipediaクトゥルフ神話」 https://ja.wikipedia.org/wiki/クトゥルフ神話

 

 うん、分かるようで分からないようで分かる感じです。

 つまり、アメリカの作家ラヴクラフト氏によって創られた「架空の神話」の名前らしいです。

 続いて、どんな内容の神話かを、オタクの味方その2、ニコニコ大百科さんから引用してみます。

 

「遥か太古に外宇宙の彼方より飛来し、この地球に君臨していた旧支配者と呼ばれるおぞましき存在が現代に蘇る」というモチーフを主体としている。大概の作品の主人公は僅かばかりの好奇心や興味から、旧支配者やその眷属たちについての信じ難い真実を目前としてしまい、想像を絶する狂気と絶望の果てに凄惨な最期を迎えることとなる。

 

引用:ニコニコ大百科クトゥルフ神話」 https://dic.nicovideo.jp/a/クトゥルフ神話

 

 クトゥルフ神話は(主人公となる人間にとって)残酷なエピソードが多いんだな~、って感じですかね。でも大抵の神話って人間にとっては悲劇が多いし、なんなら神様にとっても残酷ですよね。イザナギイザナミとか(フラグ)。

 クトゥルフ神話は近年さらに知名度が上がってきていますし、なんなら著名な各作品で設定のひとつに盛り込まれるのが流行していたりしますが、でも、「残酷な創作神話」というだけでは、ここまで有名にならないですよね。

 実はクトゥルフ神話の面白いところというのは、「自分の設定、お話で参加できる」という点なのです。

 もともとはラヴクラフト氏が創作したクトゥルフ神話という架空の神話ですが、それは「ひとつの作品、物語」というよりも、「設定を共有し合い、設定・用語を知っている者同士で、物語を次々に共有し合う」という、いわば「参加型の創作」なのです。

 もし参加したかったら、今すぐ私も「クトゥルフ神話の邪神の設定を用いて創作をしていい」ですし、それで小説を書いたりゲームを作ったりもしちゃえるわけです。ただし、邪神の設定、クトゥルフ神話におけるルールなどは厳守しつつ。

 (ちなみに、日本人で初めてクトゥルフ神話を扱ったのは、あの江戸川乱歩だそうです。さすが日本に誇るミステリホラー作家だ)

 単なる「誰かが作った創作神話」ではない「共有の設定を用いてみんなで創っていく神話」というところが、クトゥルフ神話の人気の秘訣なわけですね。

クトゥルフ神話TRPG ──CoCとは

 ここまでがクトゥルフ神話の解説でした。が、「それは分かったけど、結局イソップとどう関係するの?」という感じですよね。

 クトゥルフ神話は、最初はラヴクラフト氏から始まり、その仲間たち同士内での創作でしたが、ラヴクラフト氏のことをめちゃくちゃ好きだったオーガスト・ダーレス氏が、彼の死後に「クトゥルフ神話作品をもっと世に出さねば」と出版社を立ち上げました。すげえ。オタクの鑑ですか?

 ダーレス氏はラヴクラフト氏が作り上げた設定やらをまとめ直し、クトゥルフ神話の後進を世に送り出しました。それによって、仲間内の遊びに近かったクトゥルフ神話という名の「創作」は、どんどんと市民権を得てゆきます。

 そうして、現代にまで伝わり、「TRPG」のひとつのジャンルとして確立されました。

TRPGとは

 また単語が増えました。

 TRPGとは「テーブルトーク ロール プレイング ゲーム」の略です。ビデオゲームなどで行う「ロールプレイ」を、「卓上=テーブル上」で行うので、こういったジャンル名が付いています。

 ロールプレイングゲームとは、「自分は〇〇という人間だと仮定して、架空の世界で、架空の行動を演じる」ゲームですが、それを「卓上、机の上で行う」のですね。

 そんなTRPGが、クトゥルフ神話とくっついたのが「クトゥルフ神話TRPG」、通称CoC=C Call of Cthulhuです。

 

Call of Cthulhuクトゥルフの呼び声』】

クトゥルフの呼び声』(クトゥルフのよびごえ、Call of Cthulhu)とは、アメリカのゲーム会社であるChaosium社が製作したクトゥルフ神話の世界観を体験するホラーテーブルトークRPGTRPG)である。

 

引用:https://dic.nicovideo.jp/a/クトゥルフ神話trpg

 

 CoC、ってなにかの単語に似てないでしょうか。Co……Call of……、

 ピンときた方、大正解です。

 そうです、第五人格にて展開される世界、【COA Call of Abyss(深淵の呼び声)】です。

 クトゥルフ神話TRPGは、そのまま第五人格という作品にがっつり関連してくるのです。

第五人格との関係

 ちょっと長くなりましたが、どうやら第五人格とCoC、ひいてはクトゥルフ神話とはがっつり関連性、関係があることが分かりました

 しかし、CoCとCoAの名前の符合だけでは、単に名前が被っているだけ、偶然だった、という可能性もなくはないですよね。

なので、ここではもうちょっとだけ、クトゥルフ神話およびCoCと第五人格との関連性を見てみます。

「黄衣の王 ハスター」の存在

 さっそく登場するのは皆様ご存じ、第五人格のハンターがひとり「黄衣の王 」ハスター様です。

 実はこのハスター様、クトゥルフ神話の邪神のひとり(?)なのです。有名なのでご存じかもですね。

 それも、ただ単に名前が被っているだけ、という可能性もとても低かったりします。なぜなら「黄衣の王」とはクトゥルフ神話に大きく関連する作品の名称で、結構特別だったりするからです。

 また、クトゥルフ神話の邪神たちにはそれぞれに「化身」が存在しますが、ハスター及び別の邪神の化身に「黄衣の王」という存在が確認されています。

 これだけ関連性を示唆されたら、「クトゥルフ神話とは関係ないよ」とはちょっと言い切れないですよね。

 

 

■「黄衣の王」ハスター

第五人格のハンターがひとり。そしてクトゥルフ神話に登場する邪神のおひとり。風の神々の一柱ともされるそう。見た目から水っぽいけれど属性:風なんですね。「羊飼いハイタ」というお話では放牧の神とされています。羊飼いハイタ、そう、占い師の衣装「羊飼い」ですね。

 

 

ダイスの存在

 第五人格では必須&お馴染み、「推理の径」に存在する「ダイス」もまた、クトゥルフ神話TRPGとの関連性を示唆してるようです。

 TRPGはテーブルゲームですので、ゲーム進行に「ダイス」が必須となります。あれです、人生ゲームと同じですね。だいたいのテーブルゲームはサイコロ、つまりダイスを振って進行しますので、そんな感じです。

 ここで面白いのが、TRPGのダイスの特徴です。

 普通のよく知られるサイコロは「6面」ですが、TRPGで使用するダイスは「面」の数が多岐に亘っています。多いものだと「100面」あったりします。しかも実際にCoCでも使います。また、個数もひとつと限らず、「複数のダイス」を使用することがあります。

 また、CoCでは、プレイヤーが演じるためのキャラクター=探索者を作成しますが、そのキャラクターの能力値も、ダイスを振ることで決めたりします。実際のロールプレイも、ダイスを振って出た目で「進み」ます

 第五人格も、「ダイスを振って出た目」で「進み」ますよね。

 そして、ダイスの目も「4面」だったり「20面」だったり、振る個数も「複数」ありますよね。

 つまりです。第五人格というゲームには極めて「TRPG的な要素」を盛り込んでいることが分かります。これはますます言い逃れが出来ないぞ!(※別に言い逃れてない)

恐怖値=SAN値の存在

 CoCは、プレイヤーがキャラクター=探索者を作成し、探索者を演じて(ロールプレイして)ゆくゲームだと解説しました。

 ゲームなので、もちろんストーリーが存在します。色々な創り手によって、様々なシナリオが用意されています。探索者はそのシナリオに則ってロールプレイしてゆきます。

 そんな、CoCにおいて欠かすことのできないシナリオですが、このシナリオにはひとつの特徴というか、お約束があります。

 CoCのストーリーは、なんらかの事象に巻き込まれた「探索者」たちが、見知らぬ土地、場所で、その場所からの脱出のための「探索」をすることがメインとなっています。

 そして、探索(ロールプレイ)のルートや選択肢によっては、探索者たちは、クトゥルフ神話に登場する「神話生物」と遭遇することになります。

 邪神だらけのクトゥルフ神話世界で遭遇する「神話生物」はほぼヤバい存在ばかりです。戦うこともできますが、逃げるが勝ちなものばかりです。中には遭遇した瞬間に怖すぎてこちらが発狂してしまうような存在もいます。

 そんなとき、あの有名な「SAN値」チェックというものが入ります。

 そう、CoCでは、なんらかの精神的ショックを受けた際に、「ショックを受けた、恐怖を感じた結果の自分の正気の度合い=SAN値」がどのくらいか、チェックが入るのです。

 (そして、ダイスを振って出た目の分だけSAN値が減ります。どう足掻いても探索者は正気じゃなくなっていく……)

 また、SAN値が一定以上に低くなってしまうと、探索者は「発狂」状態に陥り、まともに動くことが出来なくなります。行動不能状態になってしまうわけです。

 これって、なにかを彷彿としないでしょうか。

 SAN値とは、恐怖を感じた自分の「正気度」です。恐怖を感じるごとに減っていき、限界まで減ると「行動不能」になります。

 ここで、第五人格における「行動不能」状態についてです。

 ここまで読んで下さった方にとって、プレイヤーにとって、いちばん最初に「行動不能になる」要因として思いつくのは、【恐怖の一撃】ではないでしょうか。

 また、サバイバーは、ハンターから攻撃を受けるごとに、──つまりは「攻撃されて恐怖を感じるごとに」行動不能状態へと近づいていきます。

 第五人格における行動不能状態とは、「死」ではありません。攻撃されても、怪我は負いません。

 ただ、頭を抱えて動けなくなるのです。まるで正気でなくなったみたいに。

 つまりです。第五人格というゲームでは、「恐怖の値(正気の度合い)=SAN値」が重要視されていると読み取ることができちゃうわけです。

 面白いくらいにCoCとシステムが似通っていますよね。

 また、SAN値に関連しては、医師エミリー・ダイアーというキャラクターの持ち物「注射」は「精神安定剤の投与である」という説もあったりします。

 ここでは割愛しますが、関連性についての考察がたくさん検索できますので、ぜひ探してみて下さい。めっちゃおもしろいです。

 

■SAN値

テーブルトークRPGクトゥルフの呼び声』において、「正気度」を意味するパラメーターのこと。「SAN」は「正気」を意味する英単語「sanity」に由来する。ゲーム中でキャラクターが怪異に遭遇した際などに、SAN値が減少することがあり、減少の程度が大きい場合には狂気に支配されてしまうことがある。

weblio辞書から引用)

 

■医師エミリー・ダイアー

ゾンビ。

……というのは冗談として、サバイバー、特に初期実装キャラクターのひとり。この方や泣き虫などの背景推理から「第五人格世界には生贄を捧げる習慣が存在する」と判明する……らしいです。彼女が深く関与するホワイトサンド精神病院は「ケルト十字」が飾られており、ケルト神話との関連性、ひいては後述の邪神「シュブ=ニグラス」との関係性が示唆されているそう。

 

2.邪神ナイアーラトテップ

 そんなこんなで、第五人格とCoCとは、設定上でも、キャラクター的にも、そしてシステム的にも極めて密接な関係にあると考察出来ました。

 しかし、本書はイソップ・カールの考察本。結局、彼とCoC、つまりクトゥルフ神話とがどう関係してくるのかが重要です。

 それでは、肝心のイソップ・カールのクトゥルフ神話がどう関連するのかをみてゆきましょう。

ナイアーラトテップとは

 またも突然ですが、ナイアーラトテップという邪神の名前はご存知でしょうか。クトゥルフ神話に登場する神格のひとつ、神様のひとりです。実は名前の読みが色々ありまして、「ナイアルラトホテップ」「ニャルラトホテップ」などとも呼ばれます。イッパイアッテナ。(若い人はこれ通じないか……)

 筆者は詳しくないのですが、近年では「ニャル子さん」として萌えキャラ擬人化などされています。日本オタク、そういうところだぞ。

 どうやら、こちらの神様(邪神様)がイソップに関連してきそうなのです。

 ※本書では日本語版Wikipediaの表記「ナイアーラトテップ」で統一していこうと思います。

上位の邪神

 クトゥルフ神話には邪神が多く存在しますが、なかでも「宇宙の原初」「万物の王」とされる「魔王アザトース」という存在が飛びぬけており、なんでも宇宙が生み出された第一要因と目されていたりします。序列の一番上の神様、というよりは、原初の存在、すべての邪神の生みの親的なニュアンスの存在です。(たぶん)

 その魔王アザトースですが、すべてを生み出した全知全能の存在でありながら、盲目だったり、色々あって自身で考える、行動するなどが出来ない設定となっています。

 そんな魔王アザトースのために、彼の願い、望みを叶えるために行動する存在がいます。

 それがナイアーラトテップです。

 魔王アザトースから生み出された邪神は数えきれないほどいますが、クトゥルフ神話の邪神たちは、色々あって色々な場所に封印されています。しかし、このナイアーラトテップだけは、唯一、自由に行動することが出来ます。

 そして、生みの親である魔王アザトースの意志や願い、望みを代行する【使者】あるいは【メッセンジャー】として行動し続けます。

 ──なんだか聞いたことのある単語や設定ですね。

その役割、神性

 ナイアーラトテップは、前述のとおり、生みの親である魔王アザトースの意志や考えを他の邪神たちに届ける「メッセンジャー」として、そして、アザトースの考え、願いや望みを代行する「使者」として知られています。また、そういった意味では、魔王アザトースという名の神の【代行者】【代理人】ともいえます。

 ですが、そういった「使役される神」としての側面以外に、ナイアーラトテップには別の特徴が知られています。

 それは、自由に各所に現れては【トリックスター】的な行動で場をかき乱す、という特徴です。

トリックスターとしての特徴

 と、トリックスターぁ~!(絶叫)

 初めてナイアーラトテップにこの単語が関連すると知り、そして更にイソップと関連してしまうと気が付いた瞬間のゾワゾワが伝わりますでしょうか……。

 実際にナイアーラトテップとは、主人(魔王アザトース)や他の邪神たちさえも冷笑し、外から眺めているような存在でして、様々な局面に現れては、場や状況などをかき乱すことで有名です。

 また、積極的に人間と関ろうとする、そういった活動をする傾向にあることでも知られていて、化身として「人間の男性の姿」をとり、普通の人間の女性とのあいだに子供をもうけることも珍しくないそうです。なかには「人類の科学力を発展させるほどの天才科学者の化身」の姿で人類と関わろうとしたことも。

 ただ、何が目的なのか、どういう意図があるのかはほとんどが不明であり、人間の範疇では理解できそうにない不可解な行動ばかりでもあります。

 一説には、人間が狂気に陥る過程を楽しむだけだったりもするらしいので、別に人間の味方というわけでもないようです。

 なにがしたいのか分からないけど、なんだかすごい神様。

 まさに「トリックスター」との異名がぴったりの存在ですね。

 また、ナイアーラトテップが化身として「人間」の姿をとるとき、その人間には、「自身がナイアーラトテップの化身であるという自覚は一切ない」ということがあるそうです。

 自分はただの人間だと思っているので、無自覚に化身としての行動をしているのですね。

 

トリックスター

神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者である。往々にしていたずら好きとして描かれる。善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴である。

Wikipediaより引用)

北欧神話のロキ、ギリシア神話オデュッセイアシェイクスピア著『夏の夜の夢』の妖精パックなどが有名ですが、個人的には特にロキが印象的です。様々な創作作品にオマージュされたりと活躍の場も広いですよね。魔探偵ロキ……懐かしいな……(※木下さくら著の漫画)

 

イソップの衣装との関連

 ちょっとずれました。そうです、トリックスターです。

 読者諸兄姉の皆様はお気付きでしょうか。私はすぐに気が付きませんでした。(自白)

トリックスター」といえば、我らがイソップ・カールの衣装「命の翻弄者」の英語名です!

そうなんです、実は、ナイアーラトテップとイソップの衣装には関連の深いものが存在したのです。

衣装「命の翻弄者/トリックスター

 衣装「命の翻弄者」、英語名「トリックスター」。

 こちらは第五人格内のイベント、CoA──Call of Abyss という世界観に関わる衣装ですが、こちらの衣装、なんと「触手」が扱えます。

 クトゥルフ神話の神話生物たちは、多くが「水性の生き物」をその外観のモチーフとして用いています。また、ナイアーラトテップの化身のひとつ、「月に吠えるもの」には長い触手が生えています。ちょうど、衣装「命の翻弄者」の化粧箱=鞄に付属しているようなものが。

 ここまでに、ナイアーラトテップは「トリックスター」との異名で親しまれていると解説しました。

 そして、「命の翻弄者」の英語名は「トリックスター」です。

 また、「命の翻弄者」は、CoC(クトゥルフ神話TRPG)のもじりと思われるCoA──Call of Abyss 世界の衣装でもあります。

 更には、「命の翻弄者」の衣装には「触手」の存在が示されています。

 ここまで関連付けられてしまっては、これはもう「イソップとナイアーラトテップの関係性」は疑いようがないですよね。

 

■命の翻弄者 英和訳

せっかく英和訳したので、ここにこっそり掲載します。

トリックスターは調査員の心、精神が侵食されないように、守ろうと最善を尽くしました。それにより、彼らは闇の中で「深淵の創造」を手にするという、その旅路を続けられたのです。

けれども、彼のちょっとした聞き間違い(あるいは冗談)が、最終的に人形師に被害を与えてしまいました。」

意訳:トリックスターはみんなのためにめちゃくちゃ頑張ってたし、そのおかげでみんなそれぞれ頑張れてたけど、彼のちょっとした冗談、あるいは聞き間違いによって、人形師に被害が及んでしまったのであった。

まさかの命の翻弄者さんドジっ子説。

 

衣装「エクソシスト

 我らがイソップ・カールと邪神ナイアーラトテップとの関連性は疑いようがないようだ! との考察が出来たわけですが(盛り上がってまいりました)、ここで別の視点からも更に「関連する」との確信を掘り下げられそうです。

 すでに出演済みですが、再びの登場、衣装「エクソシスト」です。

 こちらの衣装からは、イソップに「ジェイを疑え」との示唆をしていた、と読み解けましたが、他にも「ナイアーラトテップとの関連を示唆している」ことが読み取れそうでした。

 

 そもそもが「エクソシスト」とはどういうものかというと、ざっくりと解説するに「エクソシスムを行う人」という意味であり、つまりは「人物」を指します。エクソシスムとは、現代でいうところの「悪魔・悪霊祓い」です。(詳細はコラムをぜひご参考下さい~)

 エクソシスム、ひいては悪魔祓いとは、「イエス・キリストの名の下に悪霊を追い祓う」という、キリストへの間接的な祈りが基となっています。キリストへ祈って、その祈りで以て対象から悪霊、悪魔を祓います。つまり、祈りが通じた結果、悪霊が祓われるわけなので、「悪魔を祓ったのは自分じゃなくて、実際のところはイエス・キリストです」というのが本来のスタンスなのだそうです。

 エクソシスムがキリストへの祈りであるなら、それを行うエクソシストとは、あくまでキリストの御業を代行する【代行者】【代理人】でしかないわけですね。

 ところで、キリストは、キリスト教においては、神であり、神の息子とされています。

 また、邪神ナイアーラトテップは、クトゥルフ神話における邪神であり、魔王アザトースの息子です。

 且つ、その意志を代行するメッセンジャーであり、つまりは神の【代行者】【代理人】です。(ナイアーラトテップの項にて解説しましたね)

 なんとういうかもう、綺麗に符合してしまいましたね……。自分でも驚いています。

 以上から、衣装「エクソシスト」を介しても「イソップ・カールとナイアーラトテップは関連する」ことが考察できました。

 

■エクソシスム

ギリシア語で「厳命によって追い出すこと」という意味の単語。

ギリシア異教(もちろんキリスト教にとっての)で使われていた単語が基となっていて、本来は「悪霊」だけでなく「善きもの」に対しても用いられていました。

善きもの祓っちゃうの?と思いますが、本来は「誰かに向けて厳かに・切実に呼びかける」意味の語なので、善きものへの働きかけにも使用するんですね。

ちなみにエクソシスムを行える人間とは本来は司祭らしく、教会の判断に寄って「エクソシスト」にその権能を任命されるらしいです。代行の代行って感じでしょうか。エクソシストも大変だ。

 

ナイアーラトテップと「矛盾」

貌無きゆえに、千の貌を持つ存在

 既に少し触れましたが、クトゥルフ神話における邪神にはそれぞれに「化身」が存在し、そしてナイアーラトテップにもまた、化身が存在します。しかも邪神の中でも最も化身の数が多いそうです。それ故か、「千の貌(かお)」を持つとされています。(実際に千の化身が在る、のではなく、無数の化身、無数の貌を持つ、という意味合いだと思われます)

 しかしながら、「千の貌」を持つとされるナイアーラトテップ自身には、実のところ「貌」がありません。そのために「無貌の神」との異名を持ちます。(異名めっちゃありますね)

 また、それぞれの化身はそれぞれ同時に存在することができてしまい、各々がそれぞれの考え方を持つ(特に人間だった)場合には、化身Aが化身Bを殺しちゃう=同じ神の化身同士で殺し合ってしまう、なんて事態もあるそうです。

 しかしながら、肝心のナイアーラトテップ自身は、邪神の中でも唯一、自由に動き回り、物語の裏で暗躍し、魔王アザトースの意志を代行する存在です。その特異な神性は、唯一無二の存在といってもいいほどです。

 

「千(=無数)の貌」を持つとされるのに、「貌が無い」

「無数」に存在するのに、「唯一無二」の存在。

 

「貌がない」とは、意訳すれば「どこにも存在しない」ということとも言えます。

けれど、彼の化身は、無数に、同時に存在し合います。

 

 こういった特徴から、ナイアーラトテップとは【矛盾を孕んだ神】とされています。「有」と「無」、「+」と「-」、そういったものが常に同時に存在し合う、そういう神なのだと。

 

クトゥルフ神話の化身

神々の一部が別な存在の形をとって出現するもの。変身とは異なり、神自身から切り離されており、極端に言えば本体である神に叛乱を起こしたり、同じ神の化身同士が殺し合う事もありうる。

引用:https://w.atwiki.jp/cthulhu/pages/184.htm

 

イソップの矛盾

 矛盾、というワードが出てきました。

 1章「リアルの視点から」の考察。そこで「納棺師イソップ・カール」とは「矛盾」していると考察しましたよね。【イソップ青年は、その精神的負荷から解離し、矛盾した存在である「納棺師イソップ・カール」へ変貌した】と。

 復讐を行うことで、ジェイの教示する〝納棺〟を「否定」しながら、

 しかしその後には、背景推理内、または2021年誕生日の手紙内において「肯定」している。

 

 母の望むような「父のような紳士」あるいは「優しく慈悲深い自分」らしく在るために、

 母の望まないだろう「救うべき対象=自分にとっての良い人間」を〝納棺〟しようとしている。

 

 これほどの自己矛盾はないだろう、というほどの矛盾を、イソップという人間もまた孕むこととなってしまったと、そう考察しました。

 この「自己矛盾」という視点もまた、ナイアーラトテップとイソップ・カールの関連性の示唆と受け取れたりしないでしょうか?

見目麗しき化身、その息子

 ここはちょっと、いや極めて筆者の願望が強めというか妄想が甚だしい箇所ですが……。

 一般的に(筆者の知る範囲での)二次創作におけるイソップ・カールとは、おおよそ「イケメン」、いわゆる「美形」「美男子」として扱われることが多いです。(残念ながら、どこからその設定が広まったのか、ソースなどは特定できなかったのですが……)

 そして、実はナイアーラトテップの(人間の)化身も美形なことが多いとされています。

 もしもです。

 もし、イソップの父親がナイアーラトテップの化身だったとして、化身が美しい容貌の美男子であったとして。

 その美しい容貌が、イソップという名の息子へ遺伝していたとしたら、ロマンがあるというか、ちょっと、いやかなり面白くないでしょうか?

3.神の化身の落とし子

神の化身の落とし子

 「まさか、ナイアーラトテップの化身である美しい容貌の美男子が、Y.R.という名の女性との間にイソップを生んだって? つまりイソップはナイアーラトテップの化身の息子だって? 夢小説じゃないんだぞ!」

 ……なんて怒られそうな考察が展開され始めましたが、まさかのまさか、その方向でこれから詳しく考察してゆきます。筆者のSAN値は正常です。あと夢小説を貶める意図も絶対に一切ないです。すみません。

 むしろ、ここからが本書の本番でもあります。ぜひ月の河公園のジェットコースターに乗った気分で、振り落とされないようにお付き合いください!

なぜそう予想するか

 ここからが本番、とのたまっておきながら恐縮ですが、実はこの説、Pixivに公開されている、とある方の納棺師の考察からヒントを得たものだったりします。

(ネットで公開されているとはいえ、二次創作というグレーの世界で引用等することは躊躇われたので、本書では「参考とさせていただいた」として、巻末に作品名、作品URLの掲載のみを失礼したいと思います)

 ざっくりとした概要をご紹介しますと、

 

  • クトゥルフ神話には「ショゴス」という神話生物が存在し、それらは人間に成り替わることができるが、自分がショゴスであることを忘れて、人間に成りきってしまう
  • ショゴスは「人間よりも上位の存在」からでしか、そうだと鑑定できない
  • 第五人格の世界では「生贄を捧げることが当たり前」とされている
  • 「人間の生贄」を捧げたいのに、人間のなかに「ショゴス」が混じっているのはまずい(間違えて人間に化けたショゴスを生贄に選んでしまうかも)
  • 人間とショゴスを見分けることが出来る人が必要
  • 「R.=Yellow Rose=黄色の薔薇」は邪神ナイアーラトテップ(かなり神格の高い邪神)の花嫁を意味する
  • その息子であるイソップは第五人格の世界において「上位存在」と判断できる
  • つまりイソップはショゴスを鑑定できる
  • イソップという納棺師の〝納棺〟とは「上位存在が、うっかり人間に成りきっているショゴスを基のショゴスに戻す行為」である

 

 筆者はクトゥルフ神話やCoCについては真面目に初心者なので、ショゴスなどについてまでは調べきれなかったのですが……、それでも、こうして概要を並べるだけでも、とても説得力のある考察であることはお伝えできるかと思います。

 少なくとも、イソップとナイアーラトテップとが極めて深い関係性に在ることは、本書でもかなり考察することが出来ました。

 しかし、こちらの説を紹介するだけで「ナイアーラトテップの化身はイソップの父親でした!」と考察するのも乱暴な話です。これでは人の褌で相撲を取るのと同じ。

そこで、筆者なりに&本書なりに、イソップが邪神ナイアーラトテップの化身の息子であろう、という論拠を考察してみました。

 

■聖母と薔薇

聖母とは、一般的には聖母マリアを指し、いわゆる神の息子をその身に宿した女性です。薔薇は古来より彼女の象徴として扱われ、なかでも「黄色の薔薇」は「栄光」を、白い薔薇は「聖母マリアそのもの」を意味するとされます。

ところで、「黄バラの骸」の薔薇は、黄色だけではないことにお気付きでしょうか。

薔薇はすべてで「4輪」。黄バラと白バラがそれぞれ2輪ずつ咲いています(厳密には1輪はつぼみですが)(次のおまけコラムへ続きます)

 

コラム【黄バラの骸】

イソップ・カールを語るうえで欠かすことは出来ない!というほど重要な要素であるはずが、本文中でご紹介する場所がない……と気が付いてしまったため、急遽コラムページをもうけました。

 

■母Y.R.の象徴

結論として、携帯品「黄バラの骸」とは【イソップの母Y.R.を象徴している】と言う風に考察できそうでした。

黄バラの骸には黄色いバラが二輪、白いバラが二輪添えられています。うち白いバラは一輪がわざわざ「ツボミ」に描かれていますが白バラのツボミは「少女時代」「処女の心」など主に【女性】を表します。

次に、花が添えられている肋骨は、よく見ると左右対称ではなく、肋骨が一本欠けているように見えます。

欠けた一本の肋骨というと、アダムも有名ですが、シュメール(メソポタミア)の神話にも「自身の肋骨から子を創る太母神(母親)」のお話があります。シュメールの太母神は「肋骨の女神」であり「生命の女神」でもあるそうです。どちらの説を採っても、「自らの肋骨から命を創る」つまりは「産みだすひと、母の象徴」と考えることが出来ます。

更に細かく観察すると、黄バラの骸には「葉」もしっかりと描写されています。「バラの葉」の葉言葉は「諦めないで」「希望はある」です。まるでそっと見守り続けてくれている、誰かからの深い愛情を思わせる言葉に思えないでしょうか。

また、黄バラは黄色だけでなくどことなくゴールドにも近く感じられます。

金色に近いバラは「希望」「何をしてもかわいい」といった花言葉を持ち、またイエロードットに近い場合は「あなたを忘れない」という意味を持ちます。

極めつけは、イソップのモーションです。ゲーム内で、黄バラの骸を携帯して棺を召喚すると、イソップは黄色のバラが咲く棺へと「黙祷」に似た動作をします。Y.R.は「yellow Rose」の略だと考えられますが、そんな「黄色のバラ」が咲く棺へとイソップが黙祷する相手とは、母親以外には考えられないでしょう。

「諦めないで、希望はある」「あなたを忘れない」と子を想う母と、静かな祈りを捧げる息子。それが黄バラの骸の真髄なのだと考察します。

 

 

①アイソーポス ──「神の寵愛を受けた者」

 イソップって、実はかなりメジャーな「名前」ですよね。筆者も第五人格を知りたての頃は「イソップ? あのイソップ?」と疑問符を浮かべていました。

 イソップと言えば、かの有名な『イソップ寓話』しか思い浮かべられなかったからです。

 

 Aesop——イソップとは、ギリシャ語名「Aesoposアイソーポス」の英語名であり、英語読みです。

そして、イソップ寓話の作者とは、「アイソーポス」という名のギリシャの元奴隷とされています。彼が著した数多の寓話を総称して、『イソップ寓話』と呼びます。

 

 アイソーポスについて簡単に説明しますと、彼はギリシャで誕生し、奴隷として生活していました。

 とある日、アイソーポスのもとに「運命」あるいは「歓待の女神」が降りてきました。そして彼に、知恵と才能、寓話を語る能力を授けました。彼は授かった力で功績を重ね、奴隷の身分から解放されますが、不当な理由により最後は処刑されて亡くなります。

 これら一連の顛末は『イソップ伝』に綴られているとされるものですが、『イソップ伝』には度々、「神の寵愛を受けた」との言葉が重ねられます。(和訳文もかなりの種類があるので、一概には言い切れませんが……。女神が降りてきたり、運命そのものが降りてきたり、内容も訳し方によって結構変わるようです)

 

 つまり、アイソーポス=イソップという名は「神の寵愛を受けた者」の名前、と読み取ることも可能なのではないか。

 そうであるなら、邪神の──神と称される存在の化身の子どもだからこそ、イソップはその名を冠するのではないか。

 そんな風に考察できたりしちゃいます。

②Y.R. ──「邪神の花嫁、神の息子を宿す女性」

 続いての考察です。

 先ほど、ヒントを得たとご紹介した先達の考察では、「Y.R.=邪神の花嫁」だとされていました。

 クトゥルフ神話についてまったくの門外漢な筆者でしたので、ここはかなり調べました。

 なぜ、イソップの実母Y.R.が邪神の花嫁と読み取れるのか。

調べられる限りを箇条書きにしてみます。

 

  • R.とは「Yellow Rose」の略だと思われる
  • Rose=薔薇は、一般として「聖母マリア」を象徴する
  • ナイアーラトテップの妻である大鹿の女神「イホウンデー Yhoundeh」は頭文字が「Y」であり、R.の頭文字も「Y」である
  • ナイアーラトテップの化身の一人である「名前を出すのもはばかる大司祭」は黄色の衣を纏っているとされる
  • ハスターの化身とされている「黄衣の王」は、一説ではナイアーラトテップの化身ではないかと言われている
  • 以上のことからも、クトゥルフ神話において黄色は特別な色とされる

 

 クトゥルフ神話的な側面からみて、神の化身と関連する【黄色】(特別な色)をその名に冠すること。

 リアルの側面からみて、「聖母=神の息子を宿す女性」の象徴である【薔薇】をその名に冠すること。

 

 その二点を兼ね備える女性といえば、【神(の化身)の妻】【邪神の花嫁】と考察するに足り得るのではないでしょうか。

 

 しかも、件のナイアーラトテップの妻とされる女神イホウンデーは、その頭文字に「Y」を戴いています。最高の追撃ですね!

 これらの要素から鑑みても、「Y.R.がナイアーラトテップの化身の花嫁」であり、ひいてはそのY.R.の息子である「イソップがナイアーラトテップの化身の息子」であると、そう符合するとみて良いと思われます。

なぜ化身の落とし子として生まれたか

 さて、ここまでの考察によって「イソップが邪神ナイアーラトテップの化身の息子」であることを読み解けました。

 しかし問題は「なぜ神の化身の、その息子である必要があったのか」という点です。なぜ、イソップ・カールにはそういった要素が必要だったのか。

 本書では、それは「招かれざる客」=「荘園のシステムを破壊する者」=「荘園におけるトリックスター」となるべき運命が課せられていたから、と考察したいと思います。

「招かれざる客」とは

 妄想の度合いが……強くなっている……! いや本当に驚かせていたら申し訳ないです。でもまだガンガン進めますのでよろしくお願いします。

 なぜ、神の化身の息子である必要があったのか。その理由を、「招かれざる客人」、ひいては「荘園というシステムを破壊する者」である必要があったからだと、そうなるべき運命が課せられていたからだと述べました。それはなぜか。「招かれざる客」とはなにか。「荘園のシステム」とはなにか。

 また、もし本当に「そういった運命を課せられていた」とするなら、いったい誰に課せられていたというのか。

 それはやはり、父であるナイアーラトテップそのものにだと、そう想像できます。化身の姿をとるのがナイアーラトテップ自身であるなら、その目的もまた、ナイアーラトテップ自身にあるとみるのが順当だからです。

 ならば、すべての「理由」はナイアーラトテップの目的に集約されます。

 ナイアーラトテップが自身の目的のために、そう望んだから、イソップは「招かれざる客」となるべくして、神の化身の息子として産み落とされたと、そう考えることが出来ます。

 

 では「招かれざる客」とは何か。どういった者なのかを考察(もうほとんど妄想)してみます。

 「招かれざる客」とは、もちろん第五人格が舞台、エウリュディケ荘園にとっての「招かれざる人物」のことを指します。

 そして、荘園が──存在するかもしれない荘園の主が「好ましく思わない客人、来訪者」がどんな人物かと言えば、それは「荘園というシステムにそぐわない人物」「荘園を維持するにあたって不都合な人物」だと想像できます。

 では、エウリュディケ荘園にとって、どんな人物がそれらに該当するか。

 ここでは「望みを手に入れることで、荘園というシステムをめちゃくちゃにするトリックスター」がそれらに該当すると思われます。

①エウリュディケ荘園

荘園とは主が搾取をするところ

 そもそも、荘園とはいったいどんなところなのか。それについて簡単にまとめてみましょう。前提を固めるのはすごく大切です。

 荘園とは、ものすごく簡単にざっくりと短く説明すると、「領主が土地内の人間から搾取する場所」と言い換えることが出来ます。

 荘園の主──つまり領主が、自分の所有する土地に存在する様々な人間たちに、農作物などの生産物、労役、貨幣を納めさせ、自分はそれによって生活する。……というのが、一般的な「荘園」というもののシステムとなっています。特に十四世紀以降の英国では、役人にすら自分の領内への介入を拒否できる権限、いわゆる〝特権〟を行使できたそうです。(世界史とはあまり縁のない筆者でしたので、あくまで素人知識としてご理解ください)

 そんなこんなで、つまりは「荘園の主が領内に存在する人間から搾取をする場所」であり、逆をいえば、「荘園の主以外の人間は主のために貢献する場所」となるのです。

 もっと意訳すれば、「荘園にいる(主以外の)人間は自分のための願い、望みを叶えられない場所」とも考えることが出来ます。

 第五人格というゲームの舞台、エウリュディケ荘園とは、サバイバーとして参加する人間たちが「各々の願いや望みを叶えるために集まる場所」とされています。

 しかし、前述のとおり、荘園とは「主が搾取をする場所」で、言い換えれば「主の望みが叶う場所」です。それは、主以外の人間の願いや望みは叶わないことを意味します。

 つまり、エウリュディケ荘園とは「来訪者=領内の人間=サバイバーたち(そしてハンターも)の願い、望みは絶対に叶わない場所」でもあるわけです。

 なんて残酷なんだ。

エウリュディケとは ──「創造女神=地母神=邪神」の名?

 それでは、エウリュディケ荘園とはなんのための場所なのか? なぜサバイバーやハンターたちを招き入れるのか? 当然、そんな疑問が湧いてきます。

 その謎は、荘園の名前「エウリュディケ」にヒントがありそうでした。

 

 〝エウリュディケ〟という名前ですが、ワールドワイドウェブ先生で検索するに、かなりメジャーなエピソードの、その登場人物のようでした。

 彼女はギリシア神話に登場する美しいニンフ(精霊の一種)であり、英雄オルフェウスの妻とされています。オルフェウスと結婚し幸せに暮らしていましたが、なんやかんやあって死んでしまい、冥府へ行くこととなってしまいました。

 その後、そのことを悲しんだ夫オルフェウスが冥府まで迎えに行くのですが、日本神話のイザナギイザナミの如く失敗し、結局エウリュディケは冥府から地上へと戻ることは出来ないままとなります。

 ……と、これが「エウリュディケ」という名前で調査した結果、最もメジャー、且つ真っ先に見つけることが出来る情報なのですが。

 一説には、これらのエピソードは、昔から存在する神話エピソードではなく、近年、人為的に創られたものなのではないかと、そう目する見解もあるようです。または、「実際に冥府に送られたのはエウリュディケではなく、エウリュディケのための生贄であった」が、誤訳が繰り返されたために、その部分が改変されてしまった、という説もありました。

 また、ある説ではそもそもエウリュディケとは「エウリュノメー」という名の「創造女神」の名前であり、エウリュディケという名の精霊は、彼女の持つエピソードから派生した存在である、との見解もあるようです。

 「エウリュノメー」は万物を創造した「創造女神」「地母神」でしたが、色々あって、キリスト・ユダヤ教の中では「エウリノーム」という名の悪魔に落とされてしまいました。その存在は「地獄の辞典」に記されており、「上級魔神」「死の王」と冠されているそうです。(なんでも、死骸を喰らう、恐ろしく力の強い悪魔だとか)

 そもそも、キリスト・ユダヤ教系における悪魔とは、周辺の民族たち(キリスト・ユダヤ教系以外の人間たち)が信じていた神々を、自らの教えに背く「邪神」として扱うことで、そうジャンル分けされてしまった、という面があるので、「地方で信じられていたその土地の神様が、キリスト教化などする過程で悪魔になった」という現象はかなり珍しくないようなのです。

 さて、ここで意外な視点から登場しました。「邪神」です。邪神と言えば、第五人格世界ではすなわちクトゥルフ神話です。

 

イザナギイザナミ

日本神話に登場する神様。なんやかんやあって黄泉の国に行くことになってしまった妻イザナミを連れ戻しに来るイザナギでしたが、「絶対に黄泉の国から出るまで後ろを振り返るなよ」という約束を破って後ろをチラ見してしまいます。それによってイザナミは地上に還ることはできず、しかもスプラッタな見た目でイザナギを追いかけて来たりなんだりラジバンダリ。展開が急にホラーだし迎えに来たくせに見た目に恐れて逃げちゃうイザナギもどうなのかと思わせる個人的には謎の残る有名なエピソードです。この「帰るまで後ろを振り返るな」という約束は各地の神話でみられる形態で、「世界神話」に共通するものだとかなんだとか

 

邪神シュブ=ニグラス

 エウリュディケの原型では、との見解のある「創造女神」「地母神」エウリュノメーでしたが、彼女は「邪神」とも称されていた、と述べました。

 ここで少しずれまして、クトゥルフ神話における「地母神」について触れてみます。

 「地母神」とはいわゆる「母なる神」のことを指し、世界中の神話で、たくさんの神々を産みだす存在として知られています。ギリシア神話においては女神ガイアがそれに当たりますし、日本神話ならイザナミのことを指します。

 同じように、クトゥルフ神話においても地母神とされる女神(?)が存在します。

 その名も「シュブ=ニグラス」。

シュブ=ニグラスは他の実在の神話と同様、多くの邪神たちをその身から生み出したため、クトゥルフ神話における「地母神」の性質を持つとされています。また、自身に〝生贄〟を捧げる者へと、邪悪な恩恵を授けると言われている神格です。

 

 もし、エウリュディケが【エウリュノメーという名の創造女神・地母神】から派生した名だとするとです。

 それはひいては、エウリュディケとは、エウリノームという名の悪魔に落とされた【(ある視点から見た場合の)邪神の名前】とイコールになります。

 「地母神」の名であり、「邪神」の名前でもある、とできるわけですね。

 それはつまり、クトゥルフ神話に置き換えた場合には、エウリュディケとは「邪神の地母神」、つまりはシュブ=ニグラスという名の邪神を指すとも解釈できる、とまとめることができます。(少々強引にではありますが……)

 そして、シュブ=ニグラスは「生贄」が関係する神格でもあります。

 これら一連の情報をひっくるめてしまいますと、

 

──エウリュディケとは、その名を戴く場所とは、〝生贄〟が関連する場所である。

 

 こんな構図が成り立ったりします。

生贄を搾取する場所

 荘園とは「主が搾取する場所」でした。

 そして、エウリュディケとは「生贄が関連する場所」と考察できました。

 それら二つの点を加味し、総合するとです。「エウリュディケ荘園とは、荘園の主が生贄を捧げる場所である」と、そうは読み取れないでしょうか。

あるいは、「荘園の主が、願いや望みを叶えるべく集った来訪者たち(サバイバー及びハンターたち)を生贄とし、なんらかの形で搾取しようとしている場所」なんて風にも妄想できちゃえないでしょうか。

 どちらにしろ、エウリュディケ荘園とは願いや望みが叶う場所ではない、というのは確かなようです。

 

蠱毒

もしエウリュディケ荘園が「生贄を捧げることにより、主が得をする場所」なら、すなわちサバイバーもハンターも、すべてのゲーム参加者が「生贄候補」となります。また、現在公開されている「日記」ストーリーを鑑みるに、実際の荘園のゲームとは、四人ごとにメンバーを揃えてから開催するようなのですが、そのゲームが始まるより前に、すでにメンバーが死んだり疾走していたりします。

なんというか、これって「願いが叶うゲーム」を餌に人を集め、わざと参加者同士でで「殺し合わせている」ようにも考えられないでしょうか。もし、ゲームの開催ではなく、集まった参加者同士を殺し合わせることこそが狙いだとするなら。荘園の主には、「生き残った人間」こそが必要だとしたら。それは「蠱毒」という生贄を用いた呪術に近い気がします。

蠱毒

蠱毒とは古代中国で用いられた呪術のひとつです。動物を使った呪術であり、現代では、おおまかに「複数人を互いに争わせるように仕向け、最後に生き残った強者を、さらなる方法、特定の目的で使いつぶす」という意味で用いられています。

つまり、もし荘園がサバイバーたで蠱毒を実行しているなら、その先に「別の目的」があり、最後のひとり―生き残りをそれに利用するつもりである、ということです。

もしかして、その最後の生き残りこそを「生贄として捧ぐ」つもりだったりしたら。めちゃくちゃ面白いですし、めちゃくちゃ怖いですね。

 

クトゥルフ神話における邪神の目的

 ──と、かなり色濃く妄想という名の考察を繰り広げてきてみたわけですが、しかし、想像通りにエウリュディケ荘園が願いを叶えられる場所ではないとして、です。

それらがなぜ、イソップに課せられたと本書で妄想する運命とやらに、──荘園のシステムを壊す招かれざる客、トリックスターとなるべくして生まれたと、そんな妄想に行きつくというのでしょうか。

超越した存在 ──善悪の概念の有無

 まず共有しておきたいことなのですが、基本的に、クトゥルフ神話における神々には、人間の考えるような善悪の概念、括りなどはないとされ、その思考も行動も、人間の理解の外にあります。だからこその「邪神」であり、人の範疇を超えた存在なのです。

 そんな邪神たちのひとり(?)ナイアーラトテップもまた、その例に漏れることはありません。彼は魔王アザトースの意志を代行するメッセンジャーであり使者ですが、すでにご紹介したように、主(魔王アザトース)やほかの邪神たちすら冷笑し、場や状況をかき乱すように暗躍して回ることの多い、クトゥルフ神話世界における「トリックスター」です。かの邪神の目的も意図も、すべては人間の範疇を超えたところにあります。

理由なき理由 ──考えても分からない

 つまり、ざっくりとまさかの結論を述べてしまうと、です。

 なぜ、ナイアーラトテップが「荘園のシステムを壊す、招かれざる客として、トリックスターとなるべくしてイソップを生み出したのか、荘園へ向かわせたのか」「自らの化身の息子として産み落としたのか」。

 それらの疑問への明確な答えとは……、

 

「たぶん無い!」

 

 ……が正解だと思われます。

 いや嘘でしょ……? 嘘だと言ってよバーニィ。(また古いネタを)

 違うんです、これはふざけているだとか面倒になってるだとかでは一切ないのです。

 前述したように、ナイアーラトテップとは「邪神の中でも人間に積極的に関わろうとする神」ですが、その目的、意図などは、ほとんどの実在する著書、CoCシナリオでも明確となることがないことで有名なのです。もしかしたら「単純に人間が狂気に陥るさまを見たかったから」なんて可能性もめちゃくちゃにあるのです。

 また、本音を言ってしまえば、これ以上の想像は「考察」の域を出て、完全な「妄想」「創作」の領域となってしまいます。それらは本書でするべきものではないし、各々の二次創作などの形で完結すべきと範囲のものでしょう。よって、本書では「ナイアーラトテップのなんらかの意図が絡んでいただろうけれど、それがどういった意図によるものかまでは明確にしない、できないというスタンスをとる」という形でまとめたいと思うのです。

 いや言い訳が長い!

 しかしながら、「どんな意図や目的によるものだったか」について、少しだけ仮説を立てることはできそうです。

 

■嘘だと言ってよバーニィ

機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」第5話サブタイトル。ガンダムのなかでも生粋の救いがない系作品だが声優キャストが良いんだこれが。ちなみにバーニィは作中登場するバーナード・ワイズマンの愛称。

 

仮説① 対立する神への嫌がらせ

 ナイアーラトテップには、対立するとされる邪神が存在します。その名も「ノーデンス」。

 とあるクトゥルフ神話エピソードでは、ノーデンスに嫌がらせをするナイアーラトテップの行動が描かれることがあります。

 もしかしたら、エウリュディケ荘園とはノーデンスという邪神が関連する場所であり、または荘園の主こそがノーデンスと関係するなどして、そのために、「ノーデンスと対立している」→「ノーデンスに嫌がらせをしたい」→「ノーデンスが関係してくる荘園に、自分に関係する人間を送り込んで引っ掻き回してやりたい」みたいな図式が成り立っているのかもしれません。

 また、サバイバーの一人である「占い師イライ・クラーク」はノーデンスと関連する、との説も見かけましたが、なにぶん付け焼刃の知識なもので、両者がどういった関係性にあるのか、詳しくは調べきれませんでした……。面目ないです。

 少しだけ調べられた限りでの関連性では、次のようなものがあります。

 

 占い師イライ・クラークはドルイド信仰の人物ですが、ドルイドとは「古代ケルト人」の一部の者たちを指し、そして「ケルト神話」と密接な関係にあります。

 ノーデンスは、ケルト神話に登場する「ノドンス」という名の「医療の神」から着想を得たとされており、つまり、

 

占い師イライ・クラーク

 →ドルイド信仰

 →古代ケルト

 →ケルト神話

 →医療の神ノドンス

=邪神ノーデンス(と関連する)

 

 という図式で繋がります。

 また、これはあくまで憶測ですが、もし占い師が、「納棺師イソップ・カール」と同じタイミングで荘園に訪れ、同時期にゲームに参加しようとしていたとしたならば。

 もしかしたら、ナイアーラトテップの化身の息子として、「納棺師」が〝納棺〟しようとしていたのは(2021年誕生日の日記にて書かれていた「静かな友人となって欲しい相手」だったのは)「占い師」であったと、そんな考察もできますね。ナイアーラトテップとしたら、ノーデンスの関係者の邪魔はしたいでしょうから。

 

■占い師イライ・クラーク

サバイバーイチのリア充と思いきや、彼の生い立ちや婚約者との関係を考察すればするほど「この人幸せになれるのかな……」と心配になる感じの人。ハンターをしているときに会いたくない。

彼の婚約者の名前は日本語版で「ゲキウ」、英語版で「ガートルード」であることは有名ですが、ここまで本書を読み進めた方には「ガートルードなんだ……」と複雑な気持ちになったりするかもしれません。なんせ「ハムレット」内でイソップの母Y.R.と符合する人物の名前が「ガートルード」ですから。これって偶然なんでしょうか。

 

仮説② 単純に楽しむため

 繰り返しとなりますが、ナイアーラトテップの言動、その動機に推測されるものとして「人間が狂気に陥るのを見るのが好きだからやりました」という説があります。邪神らしすぎて感心してしまうレベル。

 CoCで登場する「トリックスター」としての彼も、「自身が化身である自覚のない人間」がシナリオ内に登場することが多々ありますし、その場合も「人間が右往左往したり狂ったりしているのが楽しいから」化身を送り込んだり、やっぱりなんの理由も目的も分からないことがほとんどだったりします。厄介だけど面白い邪神様ですね、本当に。

 

■おまけコラム

占い師と納棺師の対立構造

「羊飼いハイタ」

おもしろいことに、占い師と納棺師は意外なほど対立的な設定を付与されていることが分かります。ノーデンスとナイアーラトテップが対立関係にあると述べましたが、ほかにも占い師には「ハスター」所縁の衣装「羊飼い」が存在し、それが意外な構造を作ります。

クトゥルフ神話には『羊飼いハイタ』というお話があり、そこではハスターは羊飼いの神として信仰されています。信仰する神が衣装に存在する、つまり占い師はノーデンスだけでなくハスター寄りの人物であることも示唆されているわけですね。

と、ここで納棺師イソップ・カールの携帯品「星石」が関連してきます。

 

「エルダーサイン/星石」

イソップの携帯品のひとつ「星石」は、クトゥルフ神話内ではエルダーサインと呼ばれるものとして登場します。「旧神の印/エルダーサイン」とは、持つものを邪神の手先から保護してくれる効果を持つ、いわゆるアミュレットです。あくまで手先などに効くだけであって、邪神やそれに近しいものには効果はなく、けれど何故かハスターには抜群の効果がある……とされています。そんな「エルダーサイン」にはいくつか種類があり、そのなかに、ムナールという名の土地の石を用いた「ムナールの星石」が存在します。

 

「エルダーサイン/星石②」

星石は「携帯」できる状態、持ち運べる状態で登場しますので、ゲーム内の星石とは、恐らくはここから引用されているではないかと思われます。(ただし、エルダーサインは基本的に五芒星の形をしているらしく、形状的にはちょっと違うみたいです)

かたやハスターを信仰する衣装を持つ占い師と、かたやハスターに抜群の効果をもたらす退魔の携帯品を所持する納棺師。そもそもが星石ちがい、という可能性もありますが、ノーデンスvsナイアーラトテップだけでなく、ハスターを挟んで対照的な、対立するような構造がえがかれているなんて面白いですね。ほかのサバイバーも調べたらこういう構造だらけなんでしょうね。

 

なぜイソップが「招かれざる客」と判断できるのか

望みをかなえられるひと

 結局、なぜ「納棺師イソップ・カール」が「荘園にとってよろしくない、歓迎したくない来訪者」となるべく、ナイアーラトテップの化身として生まれたのか、ですが。

 【ナイアーラトテップの意志によって】ではあっても、【それがどういう意図によるものなのか】は【明確にできないし、たぶん無い】と推測するしかない、という結論となるのでした。

 しかしです。そもそもが「この筆者は、なにゆえイソップが【荘園にとって招かれざる客】だと思ったんだ? そういう発想に至ったんだ?」という話ですよね。大丈夫です筆者のSAN値は正常です。

 簡潔に述べると、それは、

 

「〝イソップ〟は荘園で唯一、自身の望みを叶えられる可能性があると思ったから」

 

……です。

 

 「イソップ・カール」という人物は、本来、願いも望みを叶えられないはずのエウリュディケ荘園という場所で、「母の望みを叶える」という動機を、願いを、成就させることができる。

 そう考えられたため、「イソップは荘園にとってのトリックスターとなるし、それは化身の息子だからだ」という発想に至ったのでした。

 (肝心の「なぜ望みを叶えられると思うのか」という部分については、それはもう考察というよりも壮大な二次創作になってきたので、次の章で展開したいと思います。苦手な方、嫌な予感がする方は次章をすっ飛ばしてください~!)

 

 もし、筆者の考察(妄想)どおりに、エウリュディケ荘園内でイソップがその望みを叶えたとします。

 それは、「願いも望みも叶わないはずの荘園というシステム」が破綻することを意味します。

 サバイバーもハンターも、荘園内で「勝者」となることを求めています。願いを叶えるために。

 しかし、それはシステム的に絶対に起こりえないことでした。

 ──けれど、もし、イソップが「望みを叶えた」ら。そもそもの、荘園のシステムそのものが破綻します。

 それは「現れないはずの荘園での勝者」になると、そう読み取ることができると思うのです。

 そしてそれは、荘園にとっても、参加者たちにとっても、いかにも「トリックスター」らしい、場も状況も翻弄する者──「命の翻弄者」らしい振る舞いではないでしょうか。

 そしてそれは、きっと、ナイアーラトテップの思惑どおりの展開のはずです。

荘園へ赴く ──神の化身の落とし子として

すべては神の意志のために

 そんなわけで、冒頭で述べた本書での「イソップが荘園へ赴いた理由」へのふたつめの考察、「神の意志を反映したから」というものへと帰結するわけでした。

 

 「青年イソップ」は、邪神ナイアーラトテップの化身の息子として誕生し、かの邪神の思惑通り──あるいは意図したままに、度重なる精神的不可によって、解離をし「納棺師イソップ・カール」=「荘園にとっての招かれざる客」となりました。

 そして恐らくは、「納棺師イソップ・カール」は荘園で自身の動機である「母の望み」という名の自身の望みを成就させ、荘園を、参加者たちを「翻弄」する「トリックスター」へと変貌すると思われます。

 それはもう、唯一無二の、クトゥルフ神話世界のトリックスター・邪神ナイアーラトテップの理由なき意図のままに。思惑通りに。

 すべては神の意志、神の意図。その反映。

 そう考察して、本章を締めくくろうと思います。

 

3章 荘園の勝者 ──妄想のターン

 濃厚な妄想を繰り広げてきた本書でしたが、ついに本章にて最後となります。

 また、2章までは「ギリギリ考察」の範疇を保っていたつもりですが、本章は「これはもはや二次創作!」という自覚がハッキリバッチリ本人にある、そんな内容となりますので、嫌な予感がされた方はぜひ本章は見なかったことにして最後のまとめへ飛んでやって下さい。

 また、筆者は生粋の納棺師イソップ・カール贔屓の人間です。それだけは確実ですので、安心して読み進めて頂ければ嬉しいです。

 

 さてお立合い。本章では、2章にてあえて述べなかった「なぜイソップは荘園内で自分の望みを叶えられると考えたのか」。

その内容、理由について展開したいと思います。

本当の望みを叶えるために ──復讐と処刑

 ページ数も〆切もヤバいので、もう結論からゆきます。

 

 なぜ、「イソップ・カールは荘園内で自分の望みを叶えられる」と考えたか。

 その発想に至ったのか。

 それは、

 

「青年イソップは」自分自身に復讐をし、

「納棺師イソップ・カール」は自分自身に復讐される。(=処刑される)

 

 そう想像できるからです。

 また突飛なことを言いだしたぞ! 逃げろ! 「地下室はこっち!」 

 いえもう多分手遅れですのでぜひ最後までお付き合いくださいませ。(強引)

 

 イソップの公式から明確にされた動機とは、「母の望みを叶える」でした。

 それは、実母Y.R.の望んだ「父のような紳士」「優しく慈悲深い息子」らしく振る舞い、且つ「ジェイという人間(その行い、つまりは〝納棺〟)を善良だと信じる」ことと繋がってしまった、と考察しました。それらをすべて兼ね備える存在が、「納棺師イソップ・カール」という人格だった。

 そして、「納棺師イソップ・カール」は邪神ナイアーラトテップの意図のままに誕生したとも考察しました。

 そこには、本当の意味での「イソップ」という人間はいません。

 「トリックスター」との異名で親しまれる邪神に、ただ運命に「翻弄」されるがままの人間がいるだけです。

 果たしてそれは、母Y.R.の望むところなのでしょうか。

 遺してゆく息子に、「あなたに幸多からんことを」と、成人の誕生日に宛てて手紙を残すような、そんな、深い愛情で息子を愛してくれただろう母が、このような姿を望むのでしょうか。

 答えは否、と思います。

 ということは、イソップが「荘園の招かれざる客」=「荘園を翻弄するトリックスター」となるために重要となる、「母の望みを叶える」という重要なポイントに穴が開いてしまいます。本当の意味での「母の望み」は叶っていないからです。

 では、イソップの望みが、母Y.R.の本当の意味での望みが成就するには、どうすればよいのか。

 それこそが、「青年イソップ」による「納棺師イソップ・カール」への復讐・処刑なのだ、と妄想を展開したいと思います。

理由①演繹衣装ハムレット ──復讐される者

 「復讐? 処刑? いったいどこからそんな単語が出てきた……?!」
ってなもんですよね。順に解説してゆきます。 

 まず「復讐」についてですが。

 ここで再び登場するのが、演繹衣装「ハムレット」です。

 演繹衣装「ハムレット」がどういったものかは既に考察したとおりなのですが、本書で解説した「ハムレット」という作品には、「両親を奪われた息子による復讐」の物語の他に、もうひとつの要素が存在します。

 それは、「復讐される者」です。

 王子ハムレットは復讐のために動きますが、彼はその過程で、自身の過失とも言うべき行いによって、好きな女性(有名なオフィーリアですね)と彼女の父親とを死に追いやってしまいます。

 そして、オフィーリアの兄であるレアティーズという名の男性に復讐され、物語の最後に死を迎えます。

 ハムレットとは、「復讐する者」であり、そして「復讐される者」だったのです。

理由②アイソーポス ──処刑される者

 「復讐」という単語がどこから来たのかは、わりと予測できるものかもしれませんでしたが、問題は「処刑」です。

 処刑とは、【刑に処すること。特に、死刑に処すること。】(コトバンクより引用)を指しますが、なぜそんな物騒な単語が現れたのか。

 こちらも、すでに登場済みの用語「アイソーポス」から連想されるワードでした。

 アイソーポスについては前述したことがほとんどであり、繰り返しとなりますが、彼は「不当な処刑を受けて」その生涯を閉じます。

 また、「神に寵愛された」アイソーポスを不当に処刑したデルポイの都は、彼の亡きあと、謎の飢饉や疫病に襲われます。神殿を建立して己が非を認めますが、ギリシア王に攻め入られ、その罪を罰せられます=復讐をされます。(この辺はちょっと蛇足ですが)

 単純な見解すぎるかもしれませんが、この「刑に処される」という部分が「納棺師イソップ・カール」の最期を指すのでは、と思えてやまなかったのです。

 まず、アイソーポスは神の寵愛を受けた人の名前です。イコール、ナイアーラトテップの化身の息子である、イソップのことだと考察しました。

 そしてもうひとつ。

 『イソップ伝』に連なるアイソーポスの『名言集』に、「納棺師イソップ・カール」を連想させる、そういった思想の言葉がいくつか記載されていました。

 そのことから、【アイソーポス=納棺師イソップ・カール】という発想に至ったわけでした。

 どういったものか、少しだけご紹介しますと、

 

『名言集』

 

6.Plut. In vita pelopidae. 34

「なぜなら、アイソーポスが謂ったとおり、幸せ者たちの死はもっとも辛いことではなく、最も浄福なことなのだから。」

 

21.

「いかにしてひとは、死ぬことなくして、生よ、おまえを逃れるすべがあろうか?

 なぜならおまえの禍(わざわい)は無量、逃れることも堪えしのぶことも容易ではないから。

 げに、快きはおまえの自然な美しさ、大地、海、星辰、月輪に日輪。

 自余の一切は恐怖と痛苦。

 よしや、なにほどかの幸せをこうむろうとも、ひとは応分の報い(nemesis)を受けるのみ。」

 

(引用・参考:Thesaurus Linguae Graecae(ギリシア文学デジタルライブラリ)海外HP)

 

 極めて「メメントモリ=(死を想え)」的な考え方というか、「納棺師イソップ・カール」的だと感じられませんでしょうか。

 衣装「荘厳な白──solemn white」のテキストを英和訳すると、こんな文章となります。

 

衣装「荘厳な白」

「人生は夏の花々のように輝きに満ちていて、素晴らしい。

そして、秋の木の葉(紅葉)のように静謐で、美しい終わり──。

死とは、このように自然で美しい形、方法で以て、読み解くことできるのです」

 

 生が輝くからこそ、死とは美しい。逆もまた然り。

 そんな風に読み取れる、とても「メメントモリ」的なテキストに思われます。

 そして、「人生の終着地で出迎えてくれる、理想の〝おくりびと〟」たる「納棺師イソップ・カール」らしい考え方のような気がしてやまないのは、私だけでしょうか。

 もし「納棺師イソップ・カール」の考え方が、「荘厳な白」のようなメメントモリ的なそれだとして、アイソーポスの「名言」に浮かぶその思考と、なんらかの共通点が見出せるように思われるのです。

 そんな感じで、

 

「アイソーポス」

=「神の寵愛を受ける者の名前」「メメントモリの人」

=「納棺師イソップ・カール」

 

といった図式を成り立たせてみるわけです。

そして、アイソーポスが「処刑」をされる者であるなら、「納棺師イソップ・カール」は「処刑」される者、という風にイコールで繋げてみることもできるのでは、と提示したいのでした。

 

デルポイの都

古代ギリシアのポーキス地方にあった聖域。古代ギリシア世界においては世界のへそ(中心)と信じられていた。ユネスコ世界遺産に登録されている。たぶん今でいうギリシャにあるんですね、きっと。たぶん。

メメントモリ

ラテン語の警句。直訳すれば「死を想え」または「死を憶(おも)え」、意訳するなら「死生観」とも。簡単に言えば「(自身にいつか必ず訪れる)死を忘れるな」といった意味である。』

ニコニコ大百科より引用)

筆者はこの単語を『少年魔法士』(なるしまゆり著)というマンガで初めて知りましたが、「死を想う」とはすなわち「生きている自分」について考えることに繋がる、すなわちメメントモリによってこそ、しっかり自身の人生を生きることに繋がる、という解釈にめちゃくちゃ感動した記憶があります。良い言葉だ。

 

本当の望みを叶えるために ──幸多からんことを

 色々と強引な結びつけにも感じられると思います。正直な話、この辺は筆者もフィーリングで進めている感があります。考えるな、感じろ、ってやつです。(考察本でそれを言ってはいけない気もする)

 

 「青年イソップ」が「納棺師イソップ・カール」を処し、

 それにより「イソップは自分自身に復讐される」。

 

 そんな、ややこしいパラドックス構造が形成されたとき、いったいなにが起こるのか。

 

 「処刑」が現実的な死を意図するとは限りません。それがどんな形の、どんな言動のものかは分かりません。たぶん二次創作が楽しい領域ですし、本考察(妄想)を読み終わった方々、それぞれの解釈に委ねたい部分です。

 しかし、少なくとも「母Y.R.の本当の望み」が叶う結果に連なるのだと思われます。

 そうでなければ、神の意図した「荘園のシステムを破綻させるトリックスター」とは成りえないからです。

 それでは、母Y.R.がイソップに望んだ本当の望みとは、なんだったのか?

 それはきっと、最後に綴られた言葉です。

 きっと最初から、それ以外はなかったのです。

 

「あなたに幸多からんことを」

 

 イソップは本来、母の言を用いるなら、「優しくて慈悲深い、穏やかで静かな」人です。人を殺すような、殺人を許容できるような素養はなかったと考えられます。なぜなら、そうでなければ、「今のままで生きていていいのか」などと葛藤しませんし、解離へと至ることもなかったはずだからです。

 そもそもの動機すら「母の望みを叶える」という利他的なそれで、〝納棺〟という行為すら(実際のところの手段がなんであれ)他者に尽くすためのものとして認識しています。

 それらから察するに、その本質は、やはり「慈悲」と「優しさ」なのだと、そう感じてやまないのです。

 (「優しさ」の行動によって、自分自身に喜びを得る、フィードバックを得る、ということもあるでしょうが、それは別に人間としては普通の在り方ですもんね。やらない善よりやる偽善、ギブアンドテイク、というか)

 

 母の本当の望みとは「幸多からんことを」。

 つまりは「イソップ自身の幸せ」、その状態です。

 

 では、本来、「優しくて慈悲深い、穏やかで静かな」人であるイソップが、幸福であるためには、どうすればよいか。

 それこそが、「自分自身──納棺師イソップ・カール──への処刑と復讐」なのだと想像します。

 

〝納棺〟という名の殺人を許容する、実行する自分。

 母の望む「父のような紳士」とも「本来の自分」とも遠ざかる自分。

 復讐すべき相手である、断罪すべき相手であるジェイ・カールを肯定する自分。

 

 それらすべてを「処刑」し、そうして、自らの身の内に巣食う、ジェイ・カールという男の残滓へ、本当の意味での「復讐」を果たし終わったとき。

 青年イソップは、母の本当の望みを叶え、ひいては自分自身の望みを叶え、

 そして、荘園のシステムを破綻させる「トリックスター」として完成されるのだと思われます。

 そんな妄想を以て結論とし、本章を終わろうと思います。

 

 最後にひとつだけ。

 演繹とは「思考法」のひとつでした。そして、思考法とは、答えを導くための手段のことでしたよね。

 つまり、演繹衣装とは、充てられた人物に用意された、その答え、「結論」を導くためのもの、ということです。

 イソップの演繹衣装は「ハムレット」です。

 「ハムレット」は、かの有名なウィリアム・シェイクスピアが「四大悲劇」のひとつです。

 そして、イソップ・カールの物語とは、ハムレットのその生涯と符合します。

 ──そんなことを念頭に、ぜひ「イソップ・カールの幸福」について考えてみてください。

 

パラドックス

パラドックス(paradox)とは、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉である。逆説、背理、逆理とも言われる』

Wikipediaより引用)

分かりやすい有名な例が「クレタ人は嘘つきである、とクレタ人が言った」という話。クレタ人が嘘つきなら、この言葉は「クレタ人は正しいことを言う」となるし、でもそうなるとクレタ人は嘘つきだ、というそもそもの前提が成り立たなくなります。それにしてもクレタ人はいい迷惑では……。

■幸せ

『その人にとって望ましいこと。不満がないこと。また、そのさま。幸福。幸い。』

(Goo辞書より引用)

おわりに ——あとがき

 今、推敲前ですでに10万字に達していて頭が混乱している私です。初めまして、こんにちは。繊細なゴリラです。いやどう考えてもこの名前はおかしい。

この度は本書をお手に取って頂き誠にありがとうございます。当初はざっくりと調査したことをまとめたりなどする簡単な冊子のつもりが、まさかこんなことになるとは思いもよりませんでした。別ジャンルでも考察本は出したことがあったので「いけるいける」と甘く見ていたのが良くなかった。人間は痛い目をみないと分からないし、なんなら痛い目を見ても喉元過ぎれば熱さを忘れるので結構繰り返します。私のことですね。たぶんまた繰り返しますねこの人。

本書は、各調査をしながらTwitter上でぼそぼそ呟いていた考察を基にテキスト化&まとめ直したものですが、冒頭でも述べたように素人による素人調べの素人解釈が多分に含まれています。一次元ソースに乏しい説ばかりですので、どうぞ「イソップ・カール」を推す楽しさの一部程度に読んで頂けたら嬉しいです。そしてぜひ「ここはこうなんじゃ?!」という妄想を発展させて考察やら二次創作やらして欲しいです。個人的にはイソップが神の落とし子であり、美形な化身の多いナイアーラトテップと関連があると知って「ぐわあ~~~!!」となってますし、イソップと占い師に対立構造とか出来上がっている点にもめちゃくちゃ「ぎゃあ~~~!!」となったので(あ、カップリングとかの話じゃなくて、舞台などでも新規で参入しました組で仲良し的な扱いだったふたりが対立構造か~エモいね!って意味です)ぜひどなたかそこら辺を更に発展させて作品とかにしてみちゃって頂いて繊細なゴリラの檻の中に放り込んで欲しいです。よろしくお願いします。

そんなわけで、まさかの200ページ越え&10万字越えの妄想を煮詰めに煮詰めた地獄の窯のような本書を読んで頂き本当に、本当にありがとうございました。がんばったのでぜひご感想など頂けたら嬉しいです(繊細だけれど正直者なゴリラです)。その際にはぜひ左隣のQRコードをご利用下さいませ。簡単なメールフォームを設置しております。

第五人格はリアルタイム進行型の作品ゆえ、今この瞬間も自分のなかの解釈が公式に依って粉々に粉砕骨折木端微塵となりかねないスリルアンドラビリンスなジャンルですが、しかし一人のオタクをこれだけの量の考察に至らせるその緻密な情報量、設定の練られ方には本当に感服せざるを得ません。これから遂にメインストーリーも動くとのことですが、イソップに狂われる皆様のこれからの解釈に本書が少しでもお役立てできたなら本当に心から幸いです。私もとても楽しかったです。本気で狂うかと思いました。とりあえず黄バラの骸を手に入れるまでは足掻いてやるぞ……。

そんなわけでついに地獄の窯も閉じる時を迎えました。最後までお疲れさまでした!

それでは、素晴らしきイソップライフをお過ごしください。

 

2021.08.20 繊細なゴリラ

 

参考文献・ウェブサイト

考察にあたって参考にさせて頂いた各文献、ウェブサイト様です。(順不同・敬称略)

※各ウェブサイト様方へ拙作に関するお問い合わせなどをすることは絶対におやめください

 

『Identity V wiki』(海外版wiki

 https://id5.fandom.com/wiki/Identity_V_Wiki

『第5人格 Identity V wiki』(中国版wiki

 https://wiki.biligame.com/dwrg/

『Identity V 推理考察wiki』(日本版wiki

 https://wikiwiki.jp/story5/

 

『納棺師の出自と原ショゴスについての考察』

 https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14049187

『ゼミ巡検の報告/2020年度夏バングラデシュ・インド巡検報告』

 http://hit-u.ac/excursion/00bengal/

バルバロイ!』

 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/

『お葬式プラザ 死の総合研究所』

 http://osoushiki-plaza.com/institut/

『大阪教育研究会』

 http://kohoken.chobi.net/

『GOD BIRD/堕落せし者ども~悪魔族~』

 https://god-bird.net/

シェイクスピアを読む』

 http://james.3zoku.com/shakespeare/

『nanosecond宙2秒/山羊が悪魔になったわけ』

 https://ameblo.jp/longinuskii/entry-11991721039.html